第4章 消費者主権の企業経営


 第1節「笑い」で不況を吹き飛ばす
       〜堅実経営吉本興業の経営原則に学ぶ〜

 1.サービス業の成長鈍化


 生活や余暇に、便利さや快適さを求める欲求が高まり、急成長を続けてきたサービス業が、ここにきて景気の低迷からかかげりが見え始めた。
 日本経済新聞社の91年度「サービス業総合調査」によると、90年度の伸び率15.3%に対して、91年度は伸び率半分の9.7%となったことが判明した。
 国民のサービス支出が減っていることは、事態が悪化していることを示すもので、生活必需品やサービスに対する支出減の前兆と覚悟しておいた方がよさそうだ。
 電気製品の販売不振、株価低迷、円高、マネーサプライの減少、銀行の不良債務累積、世界同時不況と、どちらを向いても明るい材料のない今日この頃。先の「総合調査」の中で、コンピュータやその関連機器製品、都市型CATVの様に依然高成長を続けている業種があるかと思えば、不動産仲介では先刻御承知の通り23.1%減と悲惨な状況にある。業種による破行性が特徴だ。さらに、興業が4.2%減と不振だ。


 2.依然絶好調の吉本興業

 こうした中にあって、三期連続して増収増益を続け、将来関西文化の復権を目指して、大阪に、欧米にひけをとらない本格的劇場をつくろうと頑張っているのが、“笑いの王国”吉本興業だ。
 吉本新喜劇全盛時代の岡八郎、漫才のヤス・キヨコンビ(横山やすしは不幸にも病気で1996年他界した。)、サブロー・シロー、最近では「……ジャーアーリマセンカ」で爆発的人気を呼んだチャーリー浜、「チースータロカ」の間寛平、ダウンタウンと、笑いとギャグで次々と売れっ子タレントを育てたあの吉本興業である。
 不況どこ吹く風、1992年3月期決算は前期比21.2%増の122億円、経常利益段階では銀行株などの有価証券評価損が足を引っ張り、5%増の18億円にとどまったが、今期の予想営業収入は11%増の137億円、経常利益は7%増の19億5,000万円と増収増益を見込んでいる。依然絶好調の興業会社だ。

 3.笑いの源泉


 吉本興業が関西という地方区から、東京を中心とした全国区に打って出るきっかけになったのは、昭和50年代の空前の漫才ブームであった。その中で今も生き残っているのはオール阪神巨人など数少ないが、関東と関西の笑いの基本を比較して言えることは、「乗り」と「ホンネ」と「反権威」にあるようだ。
 関東の笑いが、さめていて、どことなくシラケていて、富の上にあぐらをかいてるところがあるのに対して、関西のそれは、持ち前のどぎつさとホンネと、権威主義の東京に対するレジスタンスにある。
 シラケ世代と言われ、東京に集まった多くの若者に、ビデオ「ギャグ百連発」が大ウケしたのも、その辺に秘密がありそうだ。権威と管理と富の力、それにタテマエがまかり通る社会風潮の中にあって、これを嫌う若者を中心に大衆の支持するところとなったのが、吉本興業の笑いの世界の魅力なのである。
 西川きよしが、昨年夏の参院選で連続トップ当選を決めたのも、同じ背景があるように思える。

 4.笑いの王道をいく


 では、この快進撃を続ける吉本興業を支える経営基盤は何なのか。それは、一言で言えば、あくまでも「笑いの本業」に徹する無借金経営と、しかし赤字覚悟で将来の人材を育てようとする経営哲学にある。  吉本興業は、明治45年に吉本泰三・せい夫妻が、大阪の天満天神裏の演芸場を手に入れた時に始まり、その後昭和に入り、大阪、京都、神戸、横浜、東京に次々とチェーン展開を図り、11年には総勢1,300人の芸人を抱える軍団に成長した。このとき、アジャパーのギャグで一世を風びした、漫才のエンタツとアチャコがいた。
 戦後は、昭和30年代の映画ブームに乗ったかと思うと、テレビに客を取られる一方で、テレビスタッフの育成を手掛けるが、各劇場とも赤字経営が続いた。
 そんな中で、おりからのボーリングブームに目をつけ、この経営に乗り出すかどうかで社内が割れ、その時、根っからの興業マンで現社長の中邨氏は、いったん会社を辞めている。しかし、東南アジアはタイ、マレーシア、シンガポールなどのホテルで繰り広げられるショーの魅力に感動し、「オレには興業しかない」と再び会社に戻った。
 その後、昭和40年代以降の爆発的お笑いブームの中で盛り返し、以降現在まで無借金経営を続けている。一部でバブル経済の崩壊による株の評価損が会社経営を重大な岐路に立たせたかの報道があったようだが、これは会社の親しい取引先の“縁故株”に過ぎないのが現状のようだ。

 5.次世代のタレントを育てる


 吉本興業は次の3部門から成り立っている。
・興業部門(テレビ番組製作、タレント斡旋、劇場)
・不動産賃貸部門
・事業開発部門(飲食、タレントグッズ店、旅行社)
 この中で事業開発部門は多角化分野であるが、不動産賃貸部門からの収益が、次世代の人材育成機関であり、赤字部門である劇場を支えていることが注目される。吉本興業は、京都、難波、梅田の花月劇場をすべて複合商業ビルに建て替え、このテナント収入が既に売り上げの12%を占めるまでになっている。
 このテナント収入が劇場での活動を支えている。直営の吉本総合芸能学院では、タレントとして喰っていけるようになる確率は、入学者総数のわずか0.5%である。それでも、明日のスターを夢みて、毎年200から300人の若者が集まって来るという。
 夢と笑いを売り、ホンネで人の心に迫るタレント集団、吉本興業。無借金経営という意外な堅実経営と、笑いの王道を守り、関西文化の復権という野望を併せ抱く大胆さ。それはあくまでも次代の人材を育てることに情熱が注がれていることのたまものと解される。


 第2節 中小企業の社会貢献

 企業経営のあり方が、いま徐々に変わってきている。経団連の1%クラブ、企業フィランソロピー、企業メセナ、中小企業の社会貢献。
 もちろん、数少ない事例なので、笛吹けど踊らず、不況風の中で、そんなことをやっている余裕などないというのも本音だ。事実、こうした事業に取り組んでいるのは、一部の大手企業か、意識の高い一部の中小企業に限られる。しかし、21世紀に生き残ることの出来るのが、こうした経営体質に転換できた企業であるかも知れないので、真剣に考えてみる必要がありそうである。

 1.微細企業の文化貢献

 ルビコン社が会社経営のあり方に、大きな変革を迫られたのは、昭和61年から62年にかけての急激な円高に伴う不況が引きがねだった。ルビコン社(御殿場市)は、NTTなど大手企業の大型コンピュータのプリントを主力製品として生産する、従業員30名弱の中小企業。社長によれば、中小企業ならぬ微細企業と称して、苦笑いするほどの小さなメーカーなのだが、ここに新しい挑戦が始まる。当時の円高で、8社あった同業者が半分の4社に減り、危機感から何とか業種転換をはかろうとしたが、産業用コンピュータのプリントメーカからの転換は、資金力のない零細企業にとっては不可能に近い。
 御殿場市には、駒門工業団地をはじめいくつかの団地に、首都圏から大手企業の量産工場が昭和50年代から進出しはじめ、地元中小企業から進出大手企業への人材流出が顕著となった。給与水準も上昇していくので、零細な地元企業はたまったものではない。御殿場市議会でも問題となり、行政も対策に乗り出した。地元企業にとってみれば、労働力の面から行き詰まりを見せることも覚悟しなくてはいけない。
 こうした状況の中で、ルビコン社の従業員はほとんどが女性だが、進出企業の良い条件に魅かれてやめてしまうケースも目立ち始めた。企業が生き残るためには、業種転換が出来ない以上、地域の中に溶け込んでいくしかない。社長の言葉を借りると「地域の中に応援団をたくさん作り、従業員の旦那さんや、その回りの地域の人たちを味方にし、従業員の社員教育をやるしかない」という形で、危機を乗り切ろうと決断した。いわば、地域レベルでの生涯教育の一端を担うかたちで経営体質を強化して生き残ろうという戦略だ。
 ルビコン社では、たまたま発足した中小企業家同友会に相談し、賛同者が多数得られたところで研究会を作って検討を重ね、地域の生涯教育の拠点とすべく、新社屋の青写真を描いた。もしこれが実現すれば、会社が地域にとって欠かせない存在となり、シンボルになると考えられたのであった。
 いろいろな紆余曲折をへて、円形3階建てのモダンな社屋は完成した。中では地域の子供たちを集めて学習講座も行われているので「ルビコン学習塾」という看板も掲げられている。一見して、中小企業の建物とは思えないような、モダンな造りである。生け花などの各種ゼミナールが開かれ、子供たちを対象にした図書室、秋には星座教室も開かれている。
 地域住民を巻き込んだ社員教育から、次のような効果が生まれた。会社に勤めている人たちは、集まってくる地域住民のカルチュア活動の企画、運営を担当するが、これによってリーダーとしての能力が向上し、仕事に積極的となり転職することがなくなった。パートを中心とした、進出大手企業への従業員の流出に対して歯止めがかかったとされる。

 2.中小企業にもできる社会貢献

 企業の社会貢献=余録論がある。これは企業経営にとってはぜいたくであり、企業は本来の利益獲得活動に専念すべきであるとする。ルビコン社では、将来的にはコンサート活動などを通して、市の幅広い生涯教育・文化活動にも参画したいという。これをぜいたくとする考え方にも一理はあると思う。しかし、こうでもしなければ、事業転換によって危機を打開できない微細企業の経営が足元から崩れかねない現実を直視すべきである。企業経営はひとえに資質であり、発想の豊かさである。
 ヒト・モノ・カネ・情報の四大経営資源に、「社会貢献」を加える時代がやってきた。新いざなぎ景気も終わり、不況の時代を再び迎えた。いま企業をいかなる方向へ導いていったらよいのか。ルビコン社の挑戦は、単なるぜいたくでは済まされない何かを提起している。多くの中小企業経営の参考となろう。


 第3節 消費構造の変化と企業経営
(1993年8月5日)

 1.いまだ消費盛り上がらず


 在庫調整は一巡したが、設備投資は上向く気配を見せないものの、バブル崩壊以降の下降景気循環は、ほぼ底を打ったというのが大方の見方だ。
 政治の混迷、円高の影響、冷夏、公共事業に絡む疑惑の発生による公共事業の遅れなど、景気回復に対する懸念材料はあるものの、新聞の経済記事に連日掲載されるデータを見る限り、景気は上向いても良さそうなものだが、いっこうに回復の兆しを見せない。一体どうしたことなのか?
 1992年に入ってから景気が減速し始め、すでに20カ月の不況が続いている。ここにきて、データだけでは判断できないような、何かが起きているとしか言いようがない。何か神秘的な力が経済に取り付き、エコノミストたちを悩ましているかのようだ。もちろん筆者もそうだ。
 これを解明する鍵は、消費不況の性格にあり、消費動向の変化に如何に柔軟に対応できるかが課題となる。今回は、消費動向を分析する中で、不況の原因を解明し、併せて企業経営のあり方を考えてみた。

 2.消費トレンドの変化


 国民生活の考え方が、「物の豊かさ」よりも「心の豊かさ」を重視するようになったのは、総理府の世論調査でみると、今から25年前のことであった。93年の調査では、「物の豊かさ」30.5%に対して、「心の豊かさ」52.0%と大きく開いている。今後もこの趨勢に変化はないだろう。では何が「心の豊かさ」なのかについては、千差万別で非常に捕らえにくい、むづかしい面がある。
 電通の「生活者総合調査」(1992年)では、今後の生活で重視する点として上位を占めているのが、「健康・体力を維持・増進する」、「知識・自分の能力を高める」、「時間的な余裕を持つ」、「自由時間・休暇を楽しむ」、「家庭生活、家族との親しさ」、「知人・友人との付き合い」などの項目で、逆に余り重視されていないのが、「日常の生活用品の質」、「耐久財の質」、「ファッションの質」、「食生活の質」などの項目だ。
 こうした潮流にも、今後変化は生じないだろう。ところで、例えば「知識・自分の能力を高める」といっても、それは人によって、これまた千差万別であって、本を読むことに喜びを持つ人もいれば、音楽や演劇の鑑賞の好きな人もいる。仕事に関連した、例えば資格を重視する人もいるだろう。音楽や演劇といっても、また能や歌舞伎のような伝統芸能もあれば、ヨーロッパのオペラでないと満足できない人もいるし、ミュージカルファンの人もいる。贅沢は悪とばかり、「清貧の暮し」をモットーとする人もいる。
 豊かな時代の生活の価値観は、混沌(こんとん)としていて、実に「多様な生活信条」であふれている。これらを総合的に分析した調査結果は今のところない。しかし、大体の傾向は判断できる。これが豊かな時代の内実である。先ず始めに、この生活信条の多様性に基づく、個人の様々な「自立した生活の流儀」を認めるところからスタートしなければならない。

 3.不況下で何が起きたのか


 同じく電通が実施している「生活意識調査」によれば、ここ数年の間、「堅実消費」から「積極消費」への傾向を強めているが、この傾向が90年以降、バブルの崩壊もあって、反転し堅実消費へ向かっていることが先ずある。景気回復とともに、またあの贅沢ざんまいの消費熱が復活するのか。この辺の判断がむづかしいところだ。
 確かにバブルの崩壊による不況の中で、消費支出の対前年度増加率は、0%に近いところまで落込み、国民は生活防衛に立たされたことは事実だ。車やテレビなどの高級耐久消費財や、デパートの背広が極度の販売不振に陥ったのはそのためだ。
 実収入(全国勤労者世帯)の名目増加率を見ると、92年度は、定期収入は堅調なものの、臨時収入、妻の勤め先収入、他の世帯員の勤め先収入がことごとく減少して、可処分所得は0.5%の伸びにとどまった。不況下で、各企業がこぞって緊急避難的対応としてリストラに走った結果、家計の臨時収入と消費購買力を減退させ、消費の低迷を招いたことが分かる。
 ところで、家計の防衛に迫られた結果、食料品への支出は九二年度は、マイナス0.2%と減少したが、穀類、肉類、果物、外食がマイナス、逆に魚介類、野菜・海草、調理食品はプラスとなった。中でも、野菜・海草はプラス5.4%増と堅調な伸びを示した。不況の時は、ゼイ肉を落とすために肉類を避け、元気が出る野菜を食べて乗り切ろうとの、家計と台所を預かる主婦の選択が働くのか。
 他方、家具や衣類は軒並マイナス、旅行、教育、教養娯楽関係は、堅調な増加と、苦しい家計にも、従来からの余暇、サービス指向がみられた。


 第4節 西暦2001年まで後3464日
       〜企業が残す遺産は何か〜

今こそ本業に徹し、新しい企業文化の創造を

 1.21世紀へカウントダウンが始まった


 原稿執筆時の平成5年7月からカウントダウンして、3,464日後に、21世紀を終わり、21世紀を迎える。何をいきなりのっけからと思われるかも知れない。
 別に、21世紀になっても、特別な日がやって来るわけではない。年号(時間)というのは、地球が自転する時間を1日、太陽の回りを1週するのに365日かかるので、それを1年とし、便宜的に100年を1世紀としているに過ぎない。
 紀元からカウントして、これまでほぼ20世紀を経過し、たまたま後3,464日後に、区切りの良い通過点である21世紀となるに過ぎない。
 地球が宇宙から出来上がったのが、約46億年前だから、有史以後の何何世紀というのは、それこそ人間が勝手に決めた、道しるべのようなものである。
 では、なぜこれまで「21世紀を展望する・・・」「21世紀型企業の条件」などと、未来を先取りする代名詞のように、「21世紀」という言葉が使われてきたのか。
 それは、地域産業だけでなく、日本の大多数の企業にとって、中・長期的に進むべき方向性に手詰り感が出てきたからにほかならない。もちろん、企業経営にはそれぞれの、製品、サービス、分野、業種、業態があり、経営環境に対応しながら、それを維持発展させていく経営計画があるし、ゴーイング・コンサーンとしての企業には、それぞれの道で、未来を切り開いていく社会的役割がある。
 しかし一歩さがって、第三者的にこれを眺めると、果していつまで続くのか、それは経営陣にも明確な解答がないのが現状だ。
 最近、講演会の席上で、よく「それではわが社のような業種はどうしたら良いのですか?」という質問が出る。前回の円高不況の時には、企業は皆コストダウンや多角化、業種転換と生き延びるために必死ではあったが、それをくぐり抜ければ、必ず明るい明日があると、皆信じて疑わなかった。
 ところが最近は少し状況が違うのだ。中小企業の開業率は減少し、中小企業庁も危機感を持ち、なんとか新規開業を促そうと「商業版ビジネス・インキュベータ」を考案中である。
 西暦2,000年といっても、それは、歴史の一通過点に過ぎないが、これからの中小企業経営のあり方を映し出す鏡として、よく考えておく必要がある。

 2.21世紀の主要トレンド


 7月1日。「にっかつ」(日活)が会社更正法の適用を申請した。88年に経営路線の転換を図り、ゴルフ場やニューメディアなどの多角化を図ったが、過大投資がたたって、497億円の負債額を残して事実上倒産したものだ。
 借入れ依存体質から、メイン・バンクが不在であったことも大きく影響した。「にっかつ」には大変申し訳ないが、時代の流れと多角化に耐えられるだけの、プロ集団でなかったのが命取りになったと思われる。
 こうした時代の潮流が、いつあなたの会社に襲いかかってこないとも限らない。極言すれば、化石エネルギー依存の産業構造そのものが、近い将来音を立てて崩れることも考えられる。ガソリンで走る車が、いつまでも地球上で生産されるはずがないのである。何百年も先のことと笑って済ますのはたやすいことだが、今からわずか20年前の「にっかつ」は、「近い将来街から映画館がなくなる日がくるでしょう」という予言者の言葉を、たぶんせせら笑ったに違いない。予言は、予告無しに突然やって来るものなのだ。
 世界にも、政治にも、経済にも、もはや指導国、キーパースン、フロンティアは存在しない。昭和50年に始まった「サミット」が、世界経済の協調機能を果たし得なくなったのもその現れだ。日本の政治にも、もはや絶対的な指導理念は存在しないように思える。
 この成熟化した世界の中での主要トレンドは何か。それは「自立した個人(家庭・企業・国家)の自己責任」という、多元化した社会の多元的価値観ではないか。「にっかつ」は、自立した企業の自己責任という最も基本的な企業の使命において挫折した。本来のキャパシティー以上に背伸びをし過ぎたのだ。
 アダムスミスは、18世紀の末、イギリスに産業革命が進行し、そこに自由主義の全盛時代が到来することを予言して、「神の見えざる手」による自由放任の経済原理を主張した。途中100年ほどの間、国家による経済への干渉の時代はあったが、いま世界は「新自由主義」の名の元に、再び市場原理に基づく過激な自由競争の時代へと突入し、この流れはおそらく長期的に変化はしないとみてよい。
 しかし、ロシアの混乱といい、東西ドイツの壁撤廃以後のドイツの低迷といい、日本のバブル崩壊といい、まだまだ、世界の枠組みが、「自立した個人(家庭・企業・国家)の自己責任」を果たし得ない、過渡期にあるように思える。

 3.企業が将来に残す遺産は何か


 アダムスミスは、完全な自由競争を理想としたが、その代わりにそれぞれの主体に、きびしい自己抑制を求めたことは余りよく知られていない。現代風に言えば、公共事業欲しさの政治献金を戒めたばかりでなく、企業家の広い意味での社会倫理を求めたように思える。
 完全な自己責任を負える範囲内に企業活動を限定し、これに徹するプロの企業集団による自由な競争が、結果として社会の発展に役立つと考え、その意味で、国家の干渉や規制を排除した。
 模倣を廃し、技術を磨き、本業に徹し、それを耕し、掘り返してまた本業のかてとし、市場の深化を図る。顧客や株主、従業員、取引先、下請け企業、移民族、異文化、環境や自然、企業を取り巻くファクターと共生のネットワークを取り結ぶ努力こそがいま求められているのではないだろうか。それにふさわしい企業理念(企業文化)の構築が必要である。
 バブル崩壊後の、景気浮揚の脱出口が依然として見えない今、じっと息を潜め耐えながら、いま一度足元のビジネスを見つめ直すよいチャンスと言えよう。


 第5節 崩れる価格体系
    見直し求められる資生堂チェーン店維持政策

 1.資生堂の販売戦略にメスが入る

 1994年9月14日、公正取引委員会は、独占禁止法が禁じている価格維持行為の疑いで、化粧品最大手、資生堂の販売会社三者の立入検査に踏み切った。
 発端は、酒や化粧品の安売りをしている、東京江戸川の河内屋が、資生堂東京販売と結んでいるチェーンストア契約に盛り込んである対面販売をせず、しかも卸売行為をしたとして、契約解除、商品出荷停止をされたことに対して、公正取引委員会に意義申し立てをしたというものであった。
 公正取引員会は、もちろん、資生堂販社の今回の行為が、価格拘束(やみ再販)に当たるとの疑いを深めているもようで、今後、半年ぐらいたてば最終的な結論は出よう。
 さて一方、9月27日、同じく資生堂系販売会社から、チェーンストア契約を解除された、化粧品の安売り店、東京の富士喜本店が、契約の存続確認と商品の受渡しを求めた裁判で、東京地方裁判所は、富士喜の主張を全面的に認め、資生堂側が契約解除の根拠とした対面販売の義務づけに対し、「価格維持の効果を生み、独占禁止法第十九条(不公正な取引方法の禁止)の趣旨に反する可能性もある」との判決を下した。
 これに対して、資生堂側は控訴する方針で、今後、東京高裁の判断を仰ぐ形となる。
 このケースは、富士喜が電話やファクシミリを使って職域販売を行い、定価の2割引きで資生堂の商品をまとめて販売していたのに対し、資生堂側が「販売時に商品の説明を顧客に行うことなどを定めた契約に違反する」として、90年4月、契約の解除を富士喜に通告、同5月以降商品の出荷を停止したというものである。
 同社の職域販売は、官公庁、企業のOLが職場単位で化粧品をファクスで発注、宅配便で商品を送る方法で、通信販売に近い性格を持っている。資生堂、鐘紡、コーセーなど、国産大手化粧品メーカーと正規のチェーンストア契約を結んでいるほか、中小のメーカーなどをあわせ、15社の化粧品を扱っている。職域販売では、メーカー希望小売価格の15〜20%引き、店頭販売では10%程度値引きしている。
 これに対して判決は、販売方法に関する契約内容について、「商品の安全性確保など合理的な理由がある場合は、契約解消も認められるが、それほどの理由がなく、小売業者の販売価格、取引先等について制限を行っている場合は、不当な取引制限といえ、契約解消は許されない」と判断したもようだ。

 2.事件の争点

 この二つのケースには、若干の違いが認められるが、恐らく、@販売会社側に、安売りを妨害し、価格を拘束する明白な意図があったかどうか、A契約解除の理由とされた「対面販売」が、化粧品小売に不可欠のものかどうか、が焦点となろう。
 まず、河内屋の件に関して、資生堂販社側では、出荷停止の理由について、「河内屋がチェーンストア契約で禁止している卸販売をしたため」とし、「契約解除は価格維持行為には当たらないと確信している。公取委の調査結果に期待したい。」と述べている。
 なお、河内屋酒販会長の樋口行雄氏は、日本経済新聞紙上で、卸売販売の事実はなく、卸売の依頼があった場合は、すべて資生堂側に報告してあると述べている。(「日本経済新聞」1993.9.12、朝刊、13面)
 また、資生堂販社側は、チェーンストア契約の内容については、「以前から公取委に伝えてあり、問題ありとの指摘は受けていないので、契約違反による出荷停止は妥当」と強気の構えだ。もちろん販売政策の見直しはいっさい考えていないと言う。
 富士喜の件に関しては、「欧米でも認められているチェーンストア制度そのものを悪だと言い、契約の自由を否定しているに等しい。資生堂という一メーカーだけの問題ではない。控訴し法廷で全面的に闘う」と徹底抗戦の構えだ。
 対面販売の必要性については、「年間4万〜6万件の消費者からの相談のうち、商品のクレームを含めた品質に関するものが2割ある。顧客の肌が千差万別なので、基礎化粧品が目立つ新しい材質を使った商品もクレームは多くなる。だから消費者の支持を受けるには対面説明が必要だ」としている。
 化粧品は「家電や自動車のように機能を全面に打ち出す商品と違い、美意識を感じ取ってもらうことで成り立っている」という独特の主張があり、対面販売は「化粧品の本質」というものだ。
 また、価格維持行為については、次のように主張する。
 「河内屋との一件からそうだが、わが社の販売方法に関する議論が、すべて価格拘束という方向に持っていこうとしている気がする。資生堂が『付加価値販売』と言えば、定価販売の維持と結び付ける。乱暴な論理展開だ。いろいろな付加価値を商品ごとに考えて、制度品、スーパーやコンビニエンスストアで売る一般品と、マーケティング手法を分けているわけで、制度品流通でのメーカー・ポリシーを表したのがチェーンストア制度だ。」
 では、原告側、富士喜の主張と対応はどうなっているのか。現在までのところ詳細は報道されていないが、原告側弁護士によれば「当方の主張が100パーセント認められた画期的な判決だ。これまで化粧品の価格だけが独禁法の治外法権のような状態に置かれていた。今回の判決を契機に、化粧品の業界が変わらなければならない」と、メーカー主導の価格決定のあり方自体にメスをいれる、戦線布告とも取れるコメントを出している。
 判決があった27日、富士喜の藤沢憲社長は、全国の化粧品DS(ディスカウント・ショップ)6社を集めて、「化粧品安売りの会」を旗揚げし、化粧品メーカーによる価格拘束の実態を、広く消費者の間に認知してもらうほか、同様の化粧品DSと情報交換して、メーカーや公取委に対応を迫ることを、申し合わせたと言われている。

 3.消費者主権の時代へ加速

 詳細が明らかにされていないので、いまは何とも言えないが、昨今の状況から、今回のケースは、どうも資生堂側に不利であることは確実だ。
 既に書いたように、今回のケースが、果して、不当な価格維持行為、従って自由な競争条件の制限に当たるのかどうか、また、化粧品という商品が、果して、対面販売を必要とするものなのかどうか、従って、また大手化粧品メーカーの経営安定基盤である、チェーンストア制度(契約)が社会的にみて公正なものか、不公正なものかに焦点が集まるであろう。
 控訴後の上告審では、この点がシビアに争われるものとみられる。
 いずれにしても、ディスカウンターの台頭や、スーパーの自主企画製品の相次ぐ登場と、消費者による支持に代表されるような、供給サイド主導の価格体系の崩壊を促進するケースであることはまちがいない。
 その意味で、単に資生堂販売会社と系列小売店との争いと片付けるのではなく、メーカーの商品開発戦略と販売戦略に広範に関連する問題として、受け止めなければならないであろう。
 筆者は、振るわない小売業の原因は、殿様商売と言われるように、メーカーや流通資本に対して、末端商店ないしは消費者がものを言わない、川上主導の価格決定が強いからだと分析している。また裏を返せば、メーカー・流通資本と消費者の間にたって、いかに消費者重視の商店経営をするかが重要である。
 小売業者が、この様な状況にいち早く目覚め、消費者主権の消費環境を作り出して行くところに、小売商業活性化の条件があると言っても過言ではあるまい。今回の事件とその成行きは、そのようなことを暗示させているという意味で、まさにタイムリーな出来事であり今後の成行きに注目したい。
 ところで公正取引委員会が1999年7月に調査したところによると、普段から値引きをしている小売りが15%、セール期間中といった期間限定、または会員を対象として値引きしているケースが45%、残りの40%が、一切割引せずという結果であった。比較できる前回調査がないので、値引きの傾向が強まっているのか、その逆なのか、何とも言えないが、まだまだ、供給主導の価格体系が維持されていると言えよう。