第7章 高速交通時代の観光産業
はじめに
本格的な余暇時代をむかえ、観光・リゾートがライフスタイル、産業構造、地域振興、世界経済秩序や環境問題に到るまで、きわめて広大な領域と関連した、重要な意義をもちはじめた。
本稿では、これからのことを念頭におきながら、高速交通ネットワークと観光の関連、およびこれを前提とした、地域振興の核としての観光地経営のあり方を考察した。
第一章でも述べているように、こうした角度からの分析は、従来あまり意識的に行われたとは言えず、今後高速交通ネットワークのナショナルかつグローバルな展開が予想される中にあって、増々重要となってこよう。 なお、本稿は「タック総合研究所」研究員の飯塚正世氏との共同研究の一応の成果であることをお断りしておきたい。
第1節 余暇時代の観光と高速交通
90年代は、21世紀にむけてのさまざまな計画が策定されている時代である。4全総の見直しに始まり、ゆとりある社会にむけての経済的な発展を目指すものや、基盤整備の充実、またそれに呼応した国内の高速交通体系の構築などである。東京への一極集中の弊害が叫ばれて久しいが、ここで取り上げる高速道路、新幹線、空港などの高速ネットワークの整備は、遠隔地に企業の工場や研究所を立地させる原動力となり、多局分散の象徴になりうる、最も頻繁に利用される身近な社会基盤という点においても注目に値する。現在、日本中の地域計画では地域の活性化を測るためには各種交通網の整備が重要と捉えている。しかし、昭和30年代の第1国土軸の整備から、第2国土軸論に移行し、最近では、自民党が提唱するアジア大陸までを包括した第3国土軸の設定など21世紀の国際社会をにらんだ夢物語は続くが、多くは地方の優先順位を確認する議論ばかりが先行し、それらが実現したときの具体的な活用や対策、波及効果までを深く研究したものは非常に少ないのが現状である。
数年のうちに私たちの目の前で展開される高速ネットワークには非常に目を見張るものがある。静岡県だけを挙げてみても、第2東名の建設を始め、静岡空港、三遠南信自動車道、中部横断自動車道、あるいは伊豆縦貫自動車道などがある。中部地方全体では、主なもので山梨県を通るリニア新幹線(現在は実験線)の実現や中部新国際空港の整備、長野・金沢を経由する北陸新幹線などめじろ押しであり、やがて私たちの目前に今までの東西軸だけを優先させた高速交通ネットワークから肋骨部分に当たる南北軸を充実させた「新高速交通ネットワーク」が姿を現すことは確実である。そのような新しい時間距離、選択肢を多く抱え込んだ時代を迎えたときに私たちのライフスタイルはそう変化していくのか、その中でも特に新高速交通体系と余暇活動に着目し、余暇としての観光と高速交通が、どうリンクしていくのかということを考察してみたい。
1.境界のないライフスタイル
ライフサイクルの中でのさまざまなジャンルや目的のために費やす時間を「ワーク(経済的活動時間)」「リゾート(非日常な空間の中での休養)」「レジャー(遊び)」「レッスン(自己啓発活動や生涯教育の受講など)」の4種類に分類すると、そのうちのリゾート、レジャー、レッスンを観光行動を含めた余暇活動と捉えることができる。しかしながら、現代生活はこの4種類の時間が相互に関係しておりそれぞれを切り離して考えることは難しくなっているのが現状である。例えば、リゾート地に出向いて同時に研修を行う場合や、あるいは「学ぶ」ではなく「遊び感覚」で行うカルチャースクールなど、本来の仕事以外の学習や習い事をする場合、さらにはクリエイテイビテイ 溢れる仕事をするためにオフィス自体を遊び感覚で設計している企業もそれほど珍しくはない。従来は従業員が体を動かし生産していた製造現場では機械が動き、管理する人間はテレビゲームのような画面に向かい指令を出し操作する。まるで遊園地のようなオフィスで机に向かったり、テレビゲームのような機械操作をすることと、本来の「遊び」を分かつものは自己の主体性を犠牲にして時間に対して拘束されているかどうかということだけになりつつある。仕事の現場に人間を固定するということも「フレックスタイム」「フリータイム」の普及にみられるように、もはやあまり意味をなさなくなってきていることに加え、そのような経営感覚では従業員がついてこないのが現状である。「非日常的生活領域」が「仕事的時間配分領域」と明確な一線を引くことが不可能になってきたとすれば、最近のビジネスリゾートや住・職・遊が一体化したサテライトオフィスといったトレンドは現在のライフスタイルを最も端的に表しているといえる。
2.生活大国日本の余暇時間
現在、政府では「生活大国」を柱とした長期経済計画の策定を諮問しているがその中で「豊かさを実感できる国民生活の実践や地域経済社会の均衡のとれた発展についてはかなりの遅れがみられると判断」し、生活をより重視する視点や、豊かさを実感できる生活へと価値観を180度転換すべきとしているのが特徴である。最近では日本人の働きすぎを自省する意味でも年間1,800労働時間を目標にさまざまな試みがなされ、その代表的な例として今年の9月からは国家公務員の完全週休2日制も実施される。国際的にも日本人の労働時間を指摘されるようになり、労働時間短縮は政治的にも経済的にも無視できないものとなっている。日本人の労働時間は年々短縮されているものの、今だに年間2,052時間(平成2年度)であり、先進国の中では突出している。さらに静岡県の場合は2,069時間で全国平均を上回っている。(労働省:毎月勤労統計調査)平成2年に実施された県政意識調査では、県民の37パーセントが「余暇も楽しむが仕事に力を入れる」と考えているが、「仕事よりも余暇」「できるだけ余暇を楽しむ」「仕事も余暇も」といった余暇生活を仕事と同じかそれ以上と考えている人は55パーセントと過半数を越えていることが分かった。民間企業に対しては1,800時間は現在のところは努力業務である上、相変わらずの人手不足により現在の状況では2,000時間を割ることも難しいが、今年9月からの国家公務員の完全週休2日制の導入により民間に対しても相当の波及効果があると予想される。今後は徐々に、行政面からの後押しもあり年間労働時間1,800時間は確実に実現すると考えられる。仮に1,800時間が実現した場合の休日・労働時間の試算は週労働時間40時間を想定した上で年間の52週間をかけ、その中から現在の祝日を差し引いた年間労働時間は1,984時間であるので、さらに年次有給休暇20日間と欠勤(または特別休暇など)3日を加えたものになる。[表一参照]
3.観光志向の多様化
余暇活動の中に観光行動が包括されるということは先程述べたが、観光と一口にいってもさまざまなパターンがある。昭和40年代の観光といえば会社や地域の慰安旅行でバスに乗って温泉地で大宴会を開いて宿泊し、帰りは地元の物産センターでお土産を買ってバスに乗り込むというのがパターンだったが50年代にはペンションブームがおこると同時に、全体的な収入増加により団体での旅行形態が減少し逆に個人的なつながりの中での観光旅行が増加した。また昭和63年には、宿泊観光旅行の同行者として「学校・職場・地域団体」は全体の34.4%だが、「家族・友人・知人」は55.6%と過半数以上を占めている。[表2参照] 旅行の目的についても、昭和51年には31.3%だった「慰安旅行」は同63年には26.6%に減少している。[表3参照] また、観光には周辺の観光地を探訪するような周遊型や一か所に逗留しスポーツや趣味などを楽しむ滞在型のパターンがある。
4.このような観光の中での交通の位置と意味
さまざまな観光形態・目的の中で、宿泊施設や観光施設の利用の有無やその消費額などは先差万別だが、どのような観光においても共通の事項として目的地までは必ず何らかの交通機関を利用するのが絶対条件である。そして何よりも大きな特徴として、利用交通機関の特徴は、移動することそのものが、旅行者本人の意志よりも物理的条件に左右されやすいために、宿泊場所の嗜好の変化や旅行目的などと比較するとこの10数年間で利用形態が最も変化している。(社)日本観光協会が実施した宿泊観光旅行の実態調査をみると、宿泊観光における利用交通手段(複数利用)においては昭和39年調査では鉄道72%、自動車8.0%、飛行機2.1%であったが、昭和63年調査においては鉄道33.7%、自動車42.2%、飛行機6.9%となっている。(鉄道と自動車が逆転したのは61年調査時点であるが、自家用車は53年以降40%前後を上下し、鉄道は自家用車以外の交通手段に食い込まれた形になっている。)
静岡県内の観光消費額を費目別に比較すると県全体の年間観光消費額1兆218億円のうち、13.3%を占める1359億円を消費しており、観光客としても交通機関の選択は時間距離、消費額、更に目的にあった観光行動をするために、観光旅行全体のなかで重要な位置を占めている。[表四参照]観光客にとっては、どの交通機関を利用して、どのようなスタイル、雰囲気で非日常空間に入り込むかという問題であり、余暇産業・観光産業にとって利用客の交通の問題はどのような方法を設定するにしても、必ずクリアしなければいけない問題である。日本国内の観光地を分析したとき、交通アクセスが不便であったり、たとえ不便であっても移動すること自体に楽しみを感じられない、あるいはその仕掛がコーディネートできない観光地は、入り込み客が伸びずに停滞していくこともある。表現を変えるなら、利用交通手段を選択するということは、観光しようとしている人にとって、それ自体が観光の入り口なのである。
5.課題を暗中模索の現状
前述したように、現在はやがて訪れる新高速交通体系と観光産業をリンクして論じているものは非常に少ない。特に静岡県の場合は、伊豆半島といった国内有数の観光地を有し、県内外から年間1億2482万人の観光客を迎え、その年間生産波及額は1兆8178億円にのぼる。(平成元年度観光消費による生産波及効果:静岡経済研究所調べ)。県民総生産の8%弱を占める観光生産波及効果や圏内で南北にネットされていく各高速自動車道の整備を考慮しても、高速交通と観光ネットワーキングについて今以上に調査研究されるべきである。
高速道路と観光を考察したものとして、中部地方では「高速道路と観光ー中央自動車道の観光へ及ぼす影響を中心としてー」と題して信州大学教授宮坂正治氏が八ケ岳山麓の入込み客、観光施設、観光客の同行者や目的、一般道の交通量、活気の変化、外部資本による大規模開発の動きなどを調査対象としたうえで提言を加えている。調査の結果、中央高速道路が開通し、すべての地域にプラスに働いているわけではないことがわかり、新しい革命的な事業にはプラス面とマイナス面があることを指摘した上で、「高速道路の建設・開通によって、真に地域住民の豊かな生活を一層向上させ、国民の福祉を増進させる面があるならば、今後一層これを増長させ、マイナスの面が発生すると予想されるならば、是非、いち早くこれを防止する対策を講ずる心構えを、地域住民も、国、地方自治体も十分持ってもらいたいものである。」と結んでいる。また、立教大学の溝尾良隆氏は「観光道路としての高速道路ー観光地への影響ー」で全国の観光地の高速道路による影響などを紹介し、時間と距離の短縮による旅行者の行動形態、観光地自体のあり方の変化を提示している。特に観光地の立場からすれば、時間距離が短縮されることにより、それまでの1泊宿泊圏は苦境に追い込まれ、反対に2泊宿泊圏は「限られた時間の中でより遠くまで行きたい」という旅行者の心理から選択されることが多くなり、そこに観光地間の競争が生じるとしている。溝尾氏は観光基盤施設を充実させることを最後に提言しているが、本人が指摘しているように、今までの高速道路の開業に伴って生じた諸現象の中から、一般法則を見いだし、そこから発生する様々な問題に対して、一定の法則を用いた対処法を提言するまでには至っていない。
6.観光地に求められるもの
道路を始めとする社会基盤は、いったん建設されると、方向や規模を変更するのは困難な作業であるため、事前に十分に地域の意向や将来的なビジョンを念頭に入れて計画しなければならない。整備する高速交通体系に余暇や観光の要素を組み入れるならば、従来よりもさらに一歩踏み込んだ地域住民の合意形成や、整備完了後の効果を考慮する必要と、事前の投資が求められているのではないだろうか。高速交通が整備されたところに何か良いものがなければ観光客は通過するだけで終わり、多くの人が通過するだけの地域に残るものは地域住民の不満や不安と観光客が残した公害である。高速交通体系と成熟した地域の余暇活用資源、観光施設とをフラットなレベルとして捉えたとき、そこに絶対に必要な要素や思想があるはずである。その1つに観光地のショウウインドゥ効果の認識が挙げられる。観光そのものをショウウインドゥに見立て、地域の産物や雰囲気、風土を生み出し観光資源としていく。もし、その生み出されたものが手に取れるモノだけではなく、地域が旅行者に伝える「地域独特のニュアンス」や「空気」のような、目に見えないものだとしたら、それは既に単なる旅行者だけが楽しむ「ショウウインドゥに入った観光資源」ではなく、地域住民をも含めた余暇資源になりうるだろう。また「ショーウインドウ効果」をもっと平面的に捉えれば、高速交通時代の新しい観光資源を生み出すヒントになりはしないだろうか。つまり、何らかの交通手段を使って早く移動している状態は、歩いたり、自転車やバイクを使って移動している状態と五感で感じることのできる範囲が圧倒的に少ないといえる。端的に表現すれば、ガラス張りの箱に入って速いスピードで動いているのであるから、以前なら香りや色やその愛らしさを楽しむことができた道端の1輪の花には気付かなくなる。しかし、連続している景観に対しては非常に敏感になり、逆に目につき易くなる。ひときわ大きい物に対しても同様である。全てのものが巨大化し、花壇が細長くずっと乗り物の中から見て楽しみ、降りて「ガリバー気分」を味わうことができる新観光地になるだろう。
もうひとつは観光の知的集約型産業化と情報発信機能の充実ではないだろうか。基本的なことから敢えて確認するなら、情報は情けに報いると書く。知りたいという相手側の欲求に対して、タイムリーにタイムリーな内容を明らかにするものである。観光産業を知的集約型産業に成長させるには都会的情報の受け皿と、受け取った情報をプールし、地域独自のフィルターにかけてフィードバックできる仕掛けが日常的に作られていることが必要である。それができない地域や観光施設は、観光客の「口に出さない観光地への要求」に応えられずに停滞、衰退していくだろう。
7.地域と情報と新時代
これからの観光客の傾向としてこれまでのような計画をもって観光行動に移る人ばかりではないことをかんがえれば、情報発信機能の新しいベクトルとしては移動している人に対しての情報の与え方の方法が問題になる。言うまでもなく、高速交通体系は「思い立ったら、即行動」できることを意味している。移動している人間に対しての最も簡単な情報の与え方は、看板などのサインシステムだが、今後は道路交通情報通信システム(VICS)推進協議会が情報サービス体制の確立に乗り出している、ナビゲーションシステムを応用した余暇・観光情報案内システムの検討や、さらにラジオ短波放送と移動電話などを利用した、相互コミュニケーションが可能な情報システムを研究していくべきである。すでに電話と短波放送局とのつながりは実用化されており(静岡エフエム放送にて24時間体制で聴取者の声を受付し、ラジオ番組の「出演者」として番組内で放送)、このようなシステムをどう地域情報・観光情報につなげていけるのかが今後の課題であろう。
線から面に発展しつつある高速交通体系が私たちの目前に姿を現したとき、静岡県としての観光地はひとつとみなすべきだろう。すなわち県下全体が1目的地になりうるからである。今までは、時間距離的に競合しなかった多観光地と、あらゆる意味でつながりが生まれる。そのつながりを観光客の奪い合いという形でねじ曲げてしまうのではなく、ネットワークした観光地のそれぞれの個性を伸ばし、全体としてさまざまな面を持ち合わせた魅力ある地域を創造していく事が新高速交通時代の観光ネットワークのあり方ではないだろうか。
*第1節は筆者と飯塚正世(執筆時タック総合研究所研究員)との共著である。
第2節 観光地経営に原則あり
平成2年11月21日、静岡県竜山村森林会館でフォーラムが開かれた。「過疎地域活性化フォーラム明日に向けてまちづくりへの出発」と題するフォーラムは、広島県立大学岩谷三四郎教授の基調報告に続いて、静岡県土肥町の「恋人岬」、天竜市「くんまのむらおこし」の2つの事例発表があり、続いて「地域の活性化を目指して」と題する熱心なパネルディスカッションが行われた。いずれも、手作りの村おこしとでも呼び得るもので、興味深いものであった。
そこで、ここではまず、同フォーラムから、過疎地域における観光開発を考えるうえで、参考になる部分について紹介しておきたい。 まず、岩谷教授は次のように述べている。参考に値すると思われるので、ポイントを記しておく。
1.地域活性化に新しい視点
「現在、全国的に『まちづくり、人づくり』の重要性が各省庁から語られているが、これには深い意味がある。日本は全体的に豊かになり、その日の生活に困る人がいなくなった現在、いかに自分のやりたい事をやるか、豊かな社会で、いあかに自分の生きがいを見つけるということが大切となってくる。また、子供を産む数が減っているため、人口増加は望まずに、少ない人口でのびのびとやることを考えた方が良い。
大規模なスキーリゾート地を開発した、岩手県の安比高原を例にとってみると、客は多勢来るが、あまりに大規模なため、必要なものは都市から大量入荷し、地元からの買い上げ、雇用が少なく、地元の施設におちる恩恵が少ない。
これに対して、老夫婦で経営している、ある民宿の主人に話を聞くと、細々とやっており、たいして儲ってはいないが、種々の地方から、いろいろな人が来て、いろいろな話が聞け、生きがいになっている。また、ペンションは、現在、都市の人間がやってきて経営をしているが、地元の人間が知恵を出し、挑戦したらどうだろうか。 また、離村者が帰りたくなる“まちづくり”をしなければならない。現状では、離村した息子の嫁や子供が、田舎をあまり好まない。これは住まい1つを考えてみても、これからの住居の条件として的確かどうかという問題を含んでいる。また、教育関係をとってみても、良い先生が大都市へ移ってしまうが、これは自分の子供の教育には、都市の方が良いと考えているからである。
従って、今までやってきた施設づくりよりも、帰って来たくなるように、街づくりの内容を良くする事を考えるべきである。そして、何よりも楽しいまちづくりでなくてはいけない。人づくりのために、建前の意見しか出ないような青年協議会は作らずに、アイデアと実行力のある、面白そうな人間を探し、出番を与える。出番を与えることによって、生きがいを持って楽しくやれるようにしてやることが重要である。
県境問題では、県境を超えて、広域の視点でものを捉え、末端にいるもの同志が、お互いに足りないものを出し合い、協力してやっていく方が、良いまちづくりができるのではないだろうか。
最後に、国や県の諸施策は利用するもので、やってくれるものではないのだから、その土地に住む住民の意識が大切である。」
講演の趣旨を必ずしも十分反映したまとめになっていないかも知れないが、教授はここで重要なことを言われている。それは、これからは、「その地域に住む人たちにとって誇りとなるような、街づくりや、人づくりをやっていこう」ということであり、その土地に住む住民の意識のあり方を指摘されたことである。観光地経営を進める場合、この点は絶対に忘れることのできない重要な点である。よく肝に命じておきたい。
2.「物語」を利用した地域づくり
ここでは、静岡県は土肥町観光協会会長、勝呂戦雄氏が行った報告をもとに、同町の「恋人岬」を取り上げ、ストーリー性の創出による地域づくりの方向性を考えてみる。
今ではテレビ番組にも登場するほど有名になった、「恋人岬」。海に向かって、三度鐘を鳴らすと、幸せになれるということで、若いカップルに人気の「恋人岬」。しかし当初は、手づくりで遊歩道を造っていたもので、県からの援助で、しっかりとした遊歩道が造られたことに始まる。そして、現在「恋人岬」となっている辺りが、グァム島にある恋人岬と景観が似ていることから、同じ様なものを造ろうと考えた。しかし最初は、あまり関心を持たれなかった。
昭和58年になり、「鐘を見つけ、それをきっかけに、交通事情によってなかなか会えない二人が、鐘を鳴らすことにより会うことができる」という、愛の物語が作られた。この物語をもとに、土肥町を訪れた人が、鐘を3回鳴らすことにより、永遠の愛を誓い、「恋人宣言証明書」もらえることを考えた。
これが話題となり、マスコミ等で度々取り上げられ、若い人の人気が高まることになったわけだ。しかし、人気が高まってくると、必然的に、外部からの進出の要望が多くなり、その結果現在、遊歩道沿いに1軒店があるが、これでは、土肥町が裕福になることにはつながらないので、今後、外部には土地を売らないようにしていくつもりであるとされる。
また、観光客が増えることにより、駐車場の確保が難しくなり、昭和63年3月に県からの許可をもらい駐車場を作ったが、土・日、連休、正月等は駐車場に車があふれてしまう状態なので、今後も駐車場の整備を進めていかなくてはならない。
その他、2月14四日(バレンタインデー)には、先着214名に記念写真やテレフォンカードを送ったり、3月14日(ホワイトデー)には先着314名に“恋人岬発結婚行き”の切符を送ったりしている。町営の施設へ行けば、いろいろなグッズが売られているほか、上に紹介した、様々な証明書の発行のサービスが受けられるが、これはパロディーであり、いわば夢を買うのである。
「恋人岬」が成功した理由として考えられることは、観光地が良くなると、店等いろいろなものが進出してきてイメージが壊れてしまうが、そういうものがなく、自然をそのままに生かしたというところであろう。今後計画しているものは、住民が誇れるもの、温泉と、ギネスブックに載る「世界一の花時計」の建設計画がある。
このように、土肥町「恋人岬」の場合は、ストーリーの創出により若者の心を捉えるとともに、マスコミにもうまく乗ることによって、人気を得たということが重要である。土地が狭いこともあって、各種施設が乱立しなかったことが、かえって息の長い取り組みを可能にさせているといえる。 これといって経営資源のない地域に、どうやって人を引き付ける「物語」を生み出すことができるのか。地域の教育委員会で、1つ地域の歴史をひもといてみる。そこには必ず地域の「秘話」が、山と積まれているはずであり、これをどう現代に蘇らせるかを考え、真剣な経営努力をすべきである。うまくやった地域の真似をすることだけは絶対に避けたい。
3.女性パワーが地域を変えた
地域づくりに、女性パワーが必要なことは、いうまでもないことである。天竜市は熊(くんま)の「くんま水車の里」代表で、天竜市総合開発計画審議会委員もしている金田三和子さんの報告から、地域づくりにおける女性の意義を考えてみよう。
「くんま水車の里」にも前史がある。林業の衰退、地域住民の高齢化が進む熊地区では、若手の林業家が新しい加工品を作ったり、茶農家が防霜施設の設置により、新しいブランド品等の開発を進めていたが、地域の婦人たちの間でも、村の活性化のために、婦人会の会合でそれぞれの思いを話し合っていたところ、女性がむらおこしのために資金を出し合おうということになったのが発端だ。
最初は組長会を開いてもなかなか参加してくれなかったが、結局は男性が立ち上がってくれ、徐々にむらおこしが進み、また行政の人たちにも励まされ、「大事な事業費を投じてくれるのだから、税金の無駄使いはやめよう」と呼びかけ、60代の主婦がほとんどで平均年齢54才という婦人たちの「生活改善グループ」が発足したのである。
婦人たちの情熱が、「昔の食生活を顧みよう」という主旨のもとに、手打ちそばや味噌の本物の味を、より多くの人々に味わってもらうための施設の建設に発展していった。そして、「水車の里かあさんの店」建設となる。婦人のむらおこしということで、マスコミにも取り上げられ盛況となり、当初1日に30人も来ればよいと思っていたのが嬉しい悲鳴になった。また「お茶の繁忙期にはどうしよう」などという心配事もあったが、地域の人々の理解と協力により続けて来ることができた。くんまを知ってもらうために、各地域でのイベントにも参加、現在「むらおこし」はどこでもやっているので、「心をわかってもらうしかない」という考えのもとに、「田舎のお母さんの真心」を信条に参加している。
今までは他地区からほとんど訪れる人がほとんどいなかった地域が、現在では年間7万人という来訪客があるのである。今後の計画としては、遊休農地をいろいろな人に利用してもらうとか、また生活雑排水をきれいにするために、川の上流の者がまずきれいにしなければいけないということを考えている。
過疎地域に住む人間としては、農山村で愚痴を言いながら農作業をするのではなく、自分で参加していくことが大事であることが強調されている。ここで受ける印象は、村をおこし、自立し、人をひきつけるためには、「商業的な感覚」と「企画立案力」であり、「商売人」になりきることだ。そして何を売り込むかのターゲットをしぼり込めるかどうかが重要であるということである。そばや味噌をただ漫然と売るのではなく、何を付加価値として上乗せして売るかについて、女性の「心」にしぼり込むことで成功したということが重要である。
4.子供に尊敬される親になれ
「過疎を逆手にとる会」代表で、国土庁地方振興局地方振興アドバイザーを務める安藤周治氏は、自らの戦いの跡をふりかえり、今後を展望して次のように述べる。長年過疎地域振興をリードしてきただけに、感慨深いものを感じさせてくれる。
広島のイメージを聞いた場合に浮かび上がって来るのは、新幹線以南のものばかりだが、実は広島にスキー場が22もあるということはあまり知られていない。現在広島では50近い市町村が過疎指定地域となっているが、経済、交通、行政の中心が南部に集中している中で、地域づくりでは民間が頑張り、行政が後から追いかけているという状態である。
今から22年程前、青年活動をしながら、子供の教育問題、医療問題等を考えてみると、「果してこの地域で生活をしていけるのか?」と、自分の中に問題が持ち上がった。しかし、当時過疎に関する情報は乏しく、それどころか「地域づくり」、「まちづくり」といった言葉すらなく、勉強することもできなかった。が、逆に言えば幸いと言えるのだが、県下で顕著な形で深刻な状況が出ていたため、大学の先生の調査やマスコミの取材による過疎問題を対象としたプロジェクトが組まれ、そういう人たちを相手に勉強を開始した。その積み上げで、8年前「過疎を逆手にとる会」が発足した。最初2つの市から始まった勉強会が、今では全国から訪れるようになったのだが、残念なことにまだまだ民間の参加が少なく、8割が行政の職員という現状である。
この会では「ないものねだりをしない」、「ないということは、何でもやれる可能性を持っている」、「東京でできないことをやる」、などといったことを唱えている。また、「つまらないところにいるから地域づくりをしよう」とするのではなく、「発想を変え、地元を大切に考えながら地域づくりを行っていけば、客が来た場合でも接待の仕方が違って来るのではないだろうか」と考えている。
自分自身が変わり続けるためには、生涯学習をしなければいけない。例えば「父親のようになりたくない、だから町へ出て行く」、という情況を、「父親のようになるにはどうしたらいいのか」と考えさせるように努力することが大事だとと氏は強調するのである。
ここには、過疎に対する重要な真理が語られている。親が仕事に希望を失ってしまうということは、その子供にとっても同じことである。夕食のだんらんのひと時に、もし親が自分の仕事や地域に展望がないことを嘆いたとしたら、またそんな親に子供が尊敬の念を失ってしまったら、もはや子供は外の世界に自分の生きがいを見出さざるを得ないだろう。だから、地域の人口が流出し、衰退していくことを嘆く前に、もっと自分の仕事に誇りと責任をもち、足元を見直してみることも必要なのではあるまいか。
地域をレジャーや観光によって支えようとする場合にも、このことは重要である。そこに住む人たちが真に誇りをもてないような地域には、どだい観光やリゾートで地域を立て直そうという意気込みのある人材は育たないし、外から訪れる人たちにとっても、魅力は感じられない。子供の生きる道しるべとなる親に生まれ変わることと、愛着をもって人生を送ることのできる地域づくりをすることと、よそからの人を引き付ける魅力ある地域に育て上げることは、常に三位一体であり、いずれが欠けてもうまく回転しないことを忘れてはならない。
5.「ハードによる満足≦ソフトによる満足」の原則
奈良県南部の吉野郡川上村は、山林面積が96%、その内の89%が村外の人の所有、11%が村民の所有、林業が盛んで人口が3,000人という村である。そういう中で事業を行おうとすると、民間による方法がなく、行政主導型でやれるところまでやるということになる。地域でいろいろなことをやっている所を、全国至るところに行き勉強した結果、全国で1つくらい林業で立村している村があっても良いのではないかと考えた。そこで役場の林業振興課を2つに分けて、林業課を作り、林業を「保護して行く産業」、「地域の特性を活かした産業」と考え、その中で代表的な事業として、木の温もりと自然の素晴らしさを体験してもらう「TONTON工作館」、村営ホテル「杉の油」のオープンを実現した。
今の観光地に来る若い観光客を見ていると、「山村だから山村風」、「安かったら良い」というのでは流行らないため、ホテルはリッチな感覚で接待することにし、高い部屋だと1泊2食付きで8万〜10万である。結果はなかなか好評のようで、いろいろな人間がくる中でファンが増え、次回ホテルに訪れる際に土産を持って来る人もいるという。
行政主導で地域づくり事業を進めて行くには、民間の活力をどの様に捉えるかが大事であり、ハードな事業を2つやったらイベントを設け、村民も積極的にそれに参加できるようなソフトの事業を2つやるようにしているとも言われている。
林業の村に高級ホテルをつくり、若者に好評を得た奈良県川上村収入役の上田雄一氏は以上のように振り返っている。
既に述べたように、ハードとソフトは表裏一体の関係にある。観光にしても、ただ立派な施設があるだけでは不十分で、あとはサービスの向上も含めたソフト施策の導入や充実が必要である。この点が、従来の観光開発にはややもすれば欠けていた。施設の高級感から受ける満足は、受けるサービスの満足なしには得られないし、サービスの満足感によって、初めて施設からの満足も活かされる。観光開発には次の原則を忘れないようにしよう。
Slow and steady wins the game.(「急がば回れ!」)
能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島。20年前に橋を架ける運動が起こり、7年前にやっと橋が架かるまでは、信号機もなく、民宿だけの島であった。
「クリエイション21 IN 能登島」実行委員会事務局長の小林良子さんは、当時を振り返って次のように述べている。
ある時、知人から能登に遊びに来たいと言われたが、彼女の住む七尾市にある和倉温泉は料金がかなり高額なため、能登島に招待してあげるという話になった。すると他にも来てみたいという人が何人か集まり、やって来る人々のリストを見ると有名な写真家、詩人、絵描き等の名前がずらりと並んでいた。そこで「能登島で写真家は写真を撮り、詩人は詩を書き、絵描きは絵を描いて、出来上がった作品を島に寄付してもらい、その展覧会を開いてみてはどうだろうか」という案を出した。
その結果、賛同する写真家のグループがたちまち集まってしまい、その中から、「どうせ展覧会を開くのだったら、素晴らしい能登の海の上でやろうではないか」ということになった。だから、この企画はもともと、過疎だからとか、またこの町をどうかしようという考えから出たものではなかったのだ。1年程前に能登島の企画課長をしている後輩から、「能登島を有名にしたいが、何か良い方法はないものか」と相談を持ちかけられていたため、提案してみたが、そんなことで有名になるのかと、疑わしげであった。
その後、この計画を進めようとした者5人程が、それぞれに活動を始め、新聞にもこの企画が載ったが、お金が1銭もない状態であったので、県知事に直訴にいき、名誉委員長になってもらい、県や町の自治体から何とかお金を集めることができた。
案も具体的になり、出演者の依頼も友達などの口込みで、有名な詩人や舞踏家が集まってくれることになった。しかし、開催日の1週間前に連絡を取ったところ、誰1人日程が決まっている者がいなかったのである。マスコミなどにも取り上げられているのに、誰が来てくれるのかわからない状態で困り果て、一流旅館である賀加屋の主人に相談したところ、出演者の皆さんが友情で来てくれるんだったら、賀加屋で新設した「なぎさ亭」に泊めなさいと、30人の出演者全員を無料で泊めることを約束してくれた。その時、七尾に和倉温泉があって本当に良かったと思った。というのは、「なぎさ亭」に泊めることが決まったあくる日、全員が電話で返事をしてきたのである。
そして、なんとか最初の舞台の幕があいたわけである。観客がだんだんと増え、3年続けた後、資金集めに疲れ、また、島の人がいつまで経っても、よその人が来てやってくれるという感覚で、溶け込んでいなかったため、このイベントを辞めたいと町長に話をしたところ、議会では、いままでわけのわからないことをやっていると言っていた町会議員たちが、「あれだけ有名になったのだから辞めるわけにはいかない」と、全員一致で協力してくれ、400万の予算をつけてくれることになったというものである。
小林さんが語る過去のいきさつの中には、実は一つの真実が隠されている。最初、重い腰を上げようとしなかった自治体が、民間主導でうまくいっているのをみて、予算化するというケースである。逆に言えば、この運動が予算措置、その他で手厚く保護されていたら、案外成功していなかったかもしれないということだ。手探りの、手作りのこのイベントの価値があるのはこの点である。小林さんは次のように続けている。
「どうしてこういうすごいイベントが安い金額でできるかというと、このイベントが世界的に有名になったら払って下さいというボランティアがいたり、こういうイベントに興味のあるデザイナーがやってくれたり、また、音響、照明等は練習として、これも有名になったらと出世払いで良いと言ってくれている。
現在、友だちの輪も広がり、生き生きと楽しくこのイベントをやっている。多くの文化交流ができ、全国の選定された作品を集めたガラス専門美術館ができる予定になっている。このように行政の人間がソフト部分をキャッチしてから、ハードな部分に取りかかるようにしている。」
極端にいえば、地域振興のための計画や運動は、明確に「地域振興」を目的にしたものでなくても良いということである。能登島のこのような、ふとしたきっかけから、地域振興に結びついていく場合もあるだろうし、いろいろなケースが考えられるだろう。「急がば回れ」、「せいてはて事を仕損じる」、「Slow and steady wins the game」である。
第3節 観光地の差別化
地域間競争は、いま戦国時代の群雄割拠さながらの様相を呈しているが、これはこれで地域にとって良いことである。観光開発に成功すると、行政視察などで人が押し寄せ、平日の視察だけで、経営がペイするところもあるほどだ。だが、忘れてはならないことがいくつかある。それはひと事で言えば、「徹底した観光地の差別化」だが、もっと奥行きの深い話である。ここでは、大分県湯布院と、群馬県新治村、「たくみの里」の事例を通して、このことを考えてみよう。
1.有名になった観光地の苦闘の4半世紀
観光地経営の基本戦略
筆者が大分県湯布院を初めて訪れたのは、今から7年前の昭和59年の秋のことである。過疎地域の観光・リゾート開発の参考に、湯布院を取り上げるわけだが、それは一口で言って同温泉地の魅力と差別化戦略にある。 忙しい時間を割いて、客室に着流し姿で現れた亀の井別荘の主、中谷健太郎氏は、黒沢明映画監督の元助監督をしていただけに、いかにもカリスマ的な風貌である。中谷氏は、20数年前に湯布院へ帰郷した頃を振り返って次のように述べている。
「湯布院は土地がやせていて、貧しい村だった。しかも、カソリックの村で分断政策が過去に取られてきてバラバラだった。線引きがずいぶん行われてきたが、まるでシルクロードの中の村のようだった。私は、そのごちゃまぜの文化の中で育ってきた。
その時は温泉地別府が成熟しきっていた状態だった。また、朝鮮戦争の戦士が来て、湯で体を癒していたし、基地の町でもあった。朝鮮戦争後は、町に灯が消えたようになり、ダムに埋めてしまおうということになり、賛成派と反対派に分かれ、故郷をダムの底に沈めるなとする進歩的保守派の人たちが現れた。」
このあと「1村1品運動」が起きる。昭和42年の湯布院国体の直後からかげりが見え始め、万博の頃から大手の資本が来なくなり、中谷氏らのグループが、活動し始める。「湯布院には女もキャバレーもない」という素朴さを売り物にして取り組んだのが20年前の話。「西へ行けば長崎へ出る。隠れキリシタンの場」をキーワードに、これを申し合わせ、「暗い東北的なイメージはやめよう」ということと、「ハイウェイと温泉との調和」、それに「肉をどうしたらうまく食べてもらえるか」を考え、豊後牛を温泉でうまく味付けし、新しい山菜料理で新しいイメージを出すことに取り組んだ。 「観光はショーウィンドウみたいなものだ。このうしろに農協があり、産物を都会へ大量に売り出すことができる。ショーウィンドウはそういう役割を果たすものだ。」という地域振興の基本戦略があったのである。
多彩な人脈
映画祭は10年続けており、信じられないような話だが、ゲストは東京から来るがギャラを払わない。これは学者、文化人、芸能人などの人脈を作ったからだ。聴衆もかなり来てくれるし、名簿を作っておいて何年もつき合っている。
“江戸の落語を湯布院で開こう”も3年やり、赤字でやめたが、落語家の柳家小三次さんが覚えてくれていて、今年は足代なしで来てくれた、というエピソードもある。このように文化人、芸能人を中心に多彩な人脈を形成し、それがしっかりと根をおろしているところに湯布院の今日があるし、他の観光地との差別化を確立する条件がある。この点は、過疎地域が観光で生きようとする場合に、大いに見習うべき事柄である。
「牛1頭牧場運動」は湯布院の外の人の力を借りて、なんとか運動を続けているもので、最初は縁故関係、後はマスコミで広がっていったが、120、130頭で運動は打ち切りにした。その理由は、牧場の広さに限界があるということと、牛に投資をしてくれる人はしっかりした人でなければならないので、無制限には広げられなかったからだ。しかしこれで湯布院のツルが出来たし、品評会で7位の入賞を得た。
40年代には「明日の湯布院を考える会」が開かれている。私立の公聴会みたいなものをやり、10号ぐらいまで冊子を作り発行したが、これは国や県にも配った。これは発展的に解消し、そのつど興味あるテーマに集まってもらうようにした。この時に先の牛1頭運動が出来た。この動きは今も残っている。牛食い絶叫大会には、よく知られているように平松大分県知事も来ている。
このように運動ができては消え、消えてはまたできるというのが湯布院の特徴であり、「アイラブ由布院塾」、「自然環境保護条例をつくる会」などもそのケースだ。これらは文化運動として取り組まれており、公民館ではロマンポルノを上映して県議会で問題になったといういさみ足の笑い話もある。
ライフスタイルを生産する
ここで大切なのは、「生産を拡大して生活向上を目指すのではなく、生活それ自体、つまりくらしの豊かさ、消費を生産してやろうという考え方」であり、「日々たいくつしないことを皆でやっていこう」という考え方である。
大山町はえのきだけ、しいたけを作って頑張ったが、湯布院では生活を生産し、「のれん」を作ったので、湯布院のものが売れるようになったのである。それで町に人が来てくれるようになった。別府あたりでも湯布院のものがよく売れているが、それは若者が物産協会を作って頑張っているからだ。別府とはちがった方向を目指すという差別化の基本戦略が、今完成しつつあるわけである。
このように衰退か、発展かの岐路に立たされた地域が、蘇がえり、広汎な支持を受けるようになるまでには、強力なリーダーを擁する仕掛人軍団が必要である。しかも4半世紀に到る長い苦闘が必要だ。地域を「かくあるべき」という長期的視野に立ち、太い人脈のパイプで都市と結んでいったことが成功の大きな条件となったのである。
大衆に支持される観光地の条件とは
平成2年秋、筆者は再び湯布院へ足を運んだ。今回は、ミクロの視点から観光地の経営哲学を学ぶためだ。折りから「ふるさと創生1億円」による地域おこし論議たけなわの頃、その方向性を見極めるためでもある。
湯布院温泉は玉の湯の溝口薫平氏に直接インタビューを試みた。溝口氏の分析する観光地湯布院の実態は次のようなものである。
観光客の六割が女性客で、「清潔」「おいしい」「風景」が魅力になっており、福岡、大分、大阪、神戸のハイカラなところの客が多いが、お互いが競合しないように独自の客層をもっている。女性客が多いこともあり、「物語」があり、農産品も売れ、これが口こみで広がっていく。情報の「受信能力」があるが、それはサービスが徹底しているからだ。サービスのレベルを高めることで成功につながったのである。着物、ものの見方、デザインなどのファッションが重要視され、ここには、ハイカラな人が住んでいて、ファッション性が確立している。
地元の産品を使う努力をしないところは、結局農家などが作っても市場に乗らないから、地元では作らないという悪循環になる。ここでは農家との間で契約栽培が行われ、旅館の料理長の責任で契約をさせている。料理長が道を歩けば、農家の人に「何々が出来ているよ」と声をかけられるので、板前さんの技術が生かせるし、プライドができることにもなる。
地元産品を購入できるのは、90%以上の稼働率だからだ。亀の井別荘の中谷健太郎氏のところには、第3セクターの「草土舎」があり、旅館、農家などが入っており、物流を担っている。ここが流通の役割を担っていて、地元の産品が売れている。
どこの観光地でもそうだが、小さい旅館やホテルには後継者がいないので、自ずから経営姿勢が消極的になる。湯布院では旅館の跡継ぎは皆帰っている。それは自分の好きなことができるからだと溝口氏は分析する。面白いものに探偵団があり、森が切られるというので森を守る運動を20人くらいで起こし、寸劇をやっている人たちもいる。これには知事からもメッセージが来るし、パーティーなども企画されている。地球を守る運動も、沖縄のキャシマリーを呼び、3,000から4,000人規模で開かれている。これでまた動きが広がることになる。川を守る婦人の運動もあり、これには建設省の役人も呼んだ。
毎日新聞と西日本新聞が連載で湯布院を取り上げ、このようにマスコミが時代をえぐってくれることが、「若い人の自信につながるわけだ。」と溝口氏は言う。
ここで、筆者の多少強引な取材の結果を紹介しよう。「全国各地で、日夜地域振興に取り組んでいる人が大勢いるので、それらの人たちを励ますために、一言観光経営の哲学を言って下さい。」という質問に、溝口氏は、少し考えてから次のように答えてくれた。
「観光産業にはつまるところ、『知的産業』という自負心が必要だ。この考えでこれまでやってきたし、ソフト力で広がってきた。また『文化』が接点になる。そのための、旅館のレベルが求められる。先日、フランスのラングドッグルシオンの人がきてシンポジウムが開かれ、その時に出ていたが、旅館はヨーロッパの『広場』の集積されたものだ。そこには文化の香りが大切で、これをポイントにしてきた。」
ここには、観光地経営、いや地域振興に関する重要な教訓が語られている。私たちは地域の衰退といえば、農林漁業など基幹産業の衰退による雇用の場の喪失、高度成長による都市への大量人口移動の結果であると教えられてきた。しかし、それにも増して重要なことは、そうした社会経済動向の結果、地域に居住し続けることへの自信や誇り、満足感、そして展望さえもてなくなった人たちを大量に生み出したことではなかったか。地域から交流の場と機会が消え、そこが、自己をいかなる意味であれ実現してくれる場でなくなったとき、人々は新天地を求めて移り住む以外に選択の道はあり得ない。
このことは、地域に雇用の場さえ確保すれば、人は定住もしくはUターンするとは限らないことを意味する。観光によって地域の再生をはかろうとするとき、お客が大勢来てくれることのみにとどまらず、その受け皿の担い手にとって、地域が真に生きがいのある地域でなければ、決して成功するものではない。観光産業という「知的産業」の集積地として脱皮し、地域の人たちの自信につながる地域づくりが必要なのだ。
2.徹底・地域資源発掘
よく地域で耳にするのは、「観光・リゾートと言っても、うちには都会の人に来てもらうような資源は何もありませんから」という言葉である。だが、果してそうであろうか。東京ディズニーランドやトマム、アスペンも人気を博しており、それはそれで人をひきつける有力な観光資源であるが、地域に埋もれ、地域の人たちからも見向きもされない資源を掘り起こし、観光に結び付けて行くことも可能である。マスメディアによって流される、一見華やかな部分のみに目を奪われることなく、情緒や伝統にあふれる日本的な観光資源にも、もっと目を向けるべきである。群馬県は新治村の「たくみの里」の事例に即しながら考えてみる。
徹底地域資源発掘
新治村は、明治44年、2つの村が合併して誕生し、84年目を迎えた、面積182平方キロメートル、85パーセントが山林、6箇所に温泉がある北関東の寒村である。人口は昭和30年代には、1万人を超えていたが、徐々に減り今は、8,300人弱となっている。農業は「養蚕」が中心だったが、今は廃れている。この村に、最近「たくみの里」が誕生した。
「たくみの里」には、平成2年で15万人の客が入っているが、これは「農+観光」という形で考えられたものだ。同村は、年10万人の観光客を迎えている観光地だが、「観光と農業をどう結び付けるか」が永年の課題であったとされる。昭和59年に自治省の「町づくり構想」が出て、これを取り入れ、地域のユニークさを出そうとしたのが町づくり事業だ。この一環で「たくみの里」も取り組まれた。
たくみの里が位置する須川平は、米と養蚕しかない、ほとんど観光ゼロの所だったので、議会でも「無謀ではないか」との反対もあったが、史跡、伝統文化、野仏、旧三国街道、町並み修景をどう活かすかということで始められた。人口構成の中心は50〜60才で、観光で生き残りたいという要望が強く、村もそういう考えがあったので始まったものだ。「野仏めぐり」はもともとあったが、スタンプを押すだけだったし、農産物がほしいという交流もあった。そういう意味では、全くゼロというわけではなかった。
まず同地区の330ヘクタール、4集落にどんな人がいるかというところから着手した。「藁細工は何々さんができる」、「竹細工は何々さんが出来る」など、地域資源と人材の発掘にまず取りかかったのである。竹細工の出来る人は、足が悪いのでバス停の近くがよいだろうという配慮もするなど、全てをチェックして、各施設の立地場所を決めていった。資源発掘にあったのは、当時の農林課長であり、同課長の頑張りとアイデアに負うところが大きいことも事実である。
現在、立ち上がり後3年で、日当について、4,000円から5,000円の補助金を村が出している。こうして、収入は、職人さんの懐にはいることになっている。
今では、他の地域からも、職人さんが集まってくるようになったが、ある職人さんが駄目になったら、別の職人さんが入れる体制にある。来たいという申し入れはあるが、現状では断わっている状態だ。各集落に、1カ所づつ「体験施設」があり、周遊ルートを作っている。農産物は農協に加工を委託しており、休耕田を利用し、大豆や味噌を作り、豆腐は夏に作っている。生活改善グループに、「味のコンテスト」をやってもらっているが、この中から、3〜4点を選んで、「たくみの里」の目玉にしたいと考えられている。
「高齢者作製販売センター」があり、藁細工を作っているが、夏になると、月に40〜50万くらいの収入になる。ここで売られているものは、300〜1,000円くらいの商品が多い。
観光は、100パーセント効果が上がっており、食堂が3軒でき、ログハウスで宿泊も出来るようになっている。3へクタールの「観光りんご園」ができたほか、茸、柿などの施設園芸も増えてきた。115万人の観光客に、周辺の農家が関わっており、「農+観光」という方向性は地味ではあるが成果を上げている。
道祖神など、地域に古くからあるものは、きちんと残している。環境を破壊しないことが、農業を守ることになるので、景観条例を作り、看板を規制、生け垣の奨励、けばけばしいものの規制に対応するなどキメの細かい対応をしていることがよい効果を生んでいる。
景観条例の具体例はないが、「たくみの里」に大きな看板ができ、これを取り払わせたケースもあるという。 関越自動車道、上越新幹線からのアクセスが良いこともあって、首都圏からの観光客に好評であることはすでに周知のところである。
ソフト対策
協議会を定期的にやり、ソフト面での事業をやっているのも特色である。マラソン大会も行われ、瀬戸選手が毎年ここに合宿にきており、ここで練習をして北海道へいくと言われる。「蛍鑑賞の夕べ」、「邦楽鑑賞」、「親善竹とんぼ世界大会」、「箸供養」がお寺で行われている。「養蚕資料館」があり、絹織物の体験が出来るようにしたいとも言われている。
3.行政主導の経営方式
資金は、総額で2億1千万円かけたが、効率がよいので、国土庁からはアメニティー賞、建設省から表彰された。方式は単独事業であり、75%を起債に頼ったが、この元利償還費には地方交付税がつく。地元負担金はとっていない。収入は村に入って来るようになっており、年に1,200万位、職人さんなどに払う支出がある。売上げは年800万位なので、400万を村が赤字補填していることになる。
群馬県に「商業近代化資金」という制度融資の制度があり、この商業近代化資金の中に、「地域開発周辺プロジェクト資金」(県単)がある。「竹細工体験施設」の前にあるレストランは、この商業近代化資金を使ったものだ。具体的には、5,000万まで貸すが、村で2%の利子補給をするというものである。
受け入れ施設は小規模で、全員が体験できないので、予約は大きい団体は受けておらず、エイジェントから直接施設に予約をとる方式を取っている。ただし学校は受け入れているが、これは人数が多いので、割り振りをしている。この予約は村を通す形になっている。
第4節 開発に対する対応
1.バブル経済崩壊のあとに来るもの
リゾート法が制定され、リゾート開発による乱開発が社会問題となってから、すでに4年が経過した。いま、いわゆるバブル経済の崩壊と共に、異常なまでの開発に対する熱は完全にさめたといえよう。平成3年9月で、戦後最長の「新いざなぎ景気」を記録したが、日本経済はすでに減速局面にあり、景気の先行きには、なお予断をゆるさない面もあるが、いずれにしてもかつてのリゾートブームは、終えんしたといってよい。
今回の地域開発=リゾート開発を見ていて気が付くことは、景気後退によって、計画が決定的に失敗したり、企業が撤退したという話を、余り聞かないということである。あっても、それは数少ないケースにとどまっている。
それだけ、開発を進める企業の側も、この受け皿となっている地域=地方自治体の側も、今回は非常に慎重であったということが出来る。
バブル経済崩壊後にもとめられる観光・リゾートを核とした地域振興のあり方は、一口で言って、地域資源を活かした地についた観光振興、都市と農村、地域間交流ネットワークの拡大、日本型リゾートプログラムの実現となる。
ここではこれまでのリゾート開発の経緯を踏まえた上で、これからの対応のあり方や、「本格的な余暇時代」に対応した地域振興のあり方を考えてみた。
2.リゾートから地域振興へ
リゾート開発は様々な波紋を広げてそのブームは去った。地域によって程度の差はあるが、対応に苦慮した地域もかなりの程度にのぼった。それは一口に言って、一定の規制を含む開発誘導を内容とするものであった。しかし今後は規制・誘導をいかに地域の望ましい土地利用のあり方、産業振興と、どう結び付けるかという、ソフトな施策が必要である。湯布院の観光産業は、農業を含む地場産業のための「ショーウインドウ」だと言われる。各旅館の回転率が、常時90%という高率である点は置くとしても、地域の産業振興、町づくりと、有機的に結びつけてはじめて、最終的な土地利用政策の実効が上がると言うべきである。
バブル経済が崩壊し、かつてのような異常な開発ブームは去ったというのは実態ではあるが、実需としての開発需要は、今後も継続して強まることは否定できない。本格的な余暇時代に突入するのにともない、受け手、送り手を含む観光・開発業界の動きは今後とも活発になると想定される。また、高速交通ネットワークの整備も、本格的高齢化社会時代の財源難などを背景に、着々と進行するであろう。
だとすれば、地方自治体は一方で開発に対する実のある公的規制・誘導のための模索を行いながら、他方で地域振興のための総合的な施策の実施、定着を目指すべきである。この場合、地域住民の役割が重要であることは言うまでもない。
地域の担い手主体の、地域に存在する、既存の様々な資源の、調査、発掘、活用、様々なアイデアによる積極的な実現、これを側面支援する自治体の役割こそが、いま求められていると言えよう。
また、すでに進出済みのリゾートに対して、どの様な対応を考えたらよいであろうか。次のような事例がある。
スキー場、ペンション、別荘が数多くあるリゾートの拠点、長野県白馬村。ここに今春、「白馬文化クリエーション」というユニークな会社が誕生した。資本金は1,750万円である。設立にあたって、村民、村に本社を置く企業、ペンション経営者、別荘の住人らが協力し、1口50万ずつを出し合った。
村にはプロのフォークソンググループ「わさびーず21」がいて、ラジオ出演、コンサートなどで健闘している。新会社の事業は、このグループを核とし、レコード、ラジオ・テレビ番組の制作、コンサート、イベントなどを手掛けようというもの。音楽を通じて白馬のイメージ、知名度をより高め、白馬村に音楽の楽しさを広めようというのが、最終的な狙いである。
新会社は地元住民と新住民の交流を直接目指すものではないが、一大観光地の中に心なごませる音楽文化を興そうという動きが出てきたことは注目すべきである。11月、グループの歌を吹き込んだレコードを製作し、売りだした。ジャケットの絵は県外から白馬の別荘に移り住んだ人が描いた。音楽を通じて小さいながら交流の芽が伸びようとしている。(日本経済新聞、1991年12月1日)
このような例は、大手資本によるリゾート開発と地域利害との調整をはかろうとするものであるが、例えば老人マンションの例にみるように、核家族化や高齢化が進む社会的趨勢の中にあって、賛否両論はともかくこのような形での受け入れ施設は、当然必要なものであり、だとするならば、「老人社会」を閉鎖的なものとせず、生き生きとした老後生活を過ごすことができるようにするためにも、地域との心暖まる交流は、ぜひとも必要なことである。
3.日本型リゾート地づくりへ向けて
さてここで我々は、これまでのリゾートブームの中でみられたような、画一的・没個性的なリゾート形成よりも、もっと我々日本人のライフスタイルや就業実態に適した、「日本型リゾート」を追求した方が良さそうである。すでに計画されているリゾート計画も、計画は計画として推進する中で、地域振興のあり方を模索する中で、「日本型リゾートプログラム」を、十分展開しうると考えるからである。ここではそのたたき台として、近年注目を浴びている、鹿児島県知覧町の観光に対する取り組みを検討してみた。
ここ10年くらいの間の、鹿児島県全体の観光入込客数を見ると、バスと鉄道は減少している。一番伸びたのはマイカーで、その次に伸びているのが飛行機(鹿児島空港)である。
自動車が伸びた理由は、中国地方から九州へ縦貫する高速道路の実現である。そして、鹿児島空港から揖宿へ南下する、県営の高速道路が実現したときに、知覧町への観光客が急速にが伸びた。この10年間で、当初の14万人が、80万人まで伸びたという超高度成長である。これは繰り返すが、高速交通ネットワークの恩恵である。
しかし、この理解で我々が止まるならば、これは高速交通と観光のネットワークのごく一面だけを理解したに過ぎない。
知覧町の素晴らしい2大観光資源は、前の町長が、発案して実現されたものである。前町長は、獣医で非常に発想力豊かな人であると聞く。
鹿児島県には、第2次大戦中、3つか4つの特攻隊の基地があり、知覧町にも存在した。
後世に語り継ぐべき、非常に素晴らしい、貴重な資源は、やはり語り伝えていく必要がある、というところから特攻平和記念館を作った。道路には、遺族や一般国民の寄付によって建てられた燈楼が、3メートルおきに2キロメートルぐらいつながっている。入口には桜並木があり、慰霊祭も営まれているほか、観音様も建てられている。そして、海から引き上げられた零戦が展示されている。
1番心を打たれるのは、20歳前後で、若くして、敵機をめがけて突っ込んでいったあの若者たちの、母に対する切ない心情を記した、遺文や和歌である。
つまり、観光地づくりのコンセプトが非常にしっかりしているということであり、全国に対する平和教育の拠点として、この知覧を、有名にすることが可能になった。そして、施設を日々リニューアルしながら、あの広島の原爆ドームと違った意味での、親と子の心の絆を、無惨にも切り刻んだ戦争に対する平和教育の拠点として、育てたということである。
このような、貴重な資源を持っていたという好運もあるが、それを地域の内側から、きちんと強烈な情報発信源として組立て、世に知らしめたことに対する努力を正当に評価すべきである。
筆者はかつてある調査の中で、地域に埋もれ、かつやり方次第によっては、農産村型リゾートの貴重な資源として活用しうる事例として、食に関する資源を発掘したことがある。
ある県のリゾート開発計画は、こうした地域主導の、かつ地域の振興に結び付くものを伸ばす戦略を、すでに組み入れている。リゾート開発のかつてのブームが去り、新しい角度からの地域振興のあり方が求められている折り、こうした方向性は大いに期待されるところである。
西洋型リゾートもよいが、森林から生まれ、農耕民族として育んできたわれわれ日本人のオリジナルな文化を大切にし、各所各様の仕方で情報発信することを国民は待ち望んでいると言えよう。
第5節 観光開発の経営学
観光・リゾート開発には、確固たる経営学が必要である。確かに経験や感に負うところは大きいし、地域の実情や、どの様な観光地を目ざすか、また都市(需要地)とのアクセスなど地理的条件のちがいによって、求められる経営の手法も異なる。ここでは、後進地域の観光開発について、一般的に必要となる観光経営方針を展開した。
1.確固たる経営理念をもつ
地域で観光開発を手がけるためには、まずしっかりとした経営理念が必要であることは言うまでもない。地域がある構想をもち、その構想を実現するためには、地域の側が自覚し、資金と人を投入するという、大きな流れを起こさなければならないからであり、たとえば地域の遊休地を活かすことを目指す場合には、当然地域の中で、経営上の課題を解決して行く作業が必要になって来る。
地域によっては、高速道路インターチェンジ開発を機に、その周辺部に都市との交流を目的とした観光開発を計画するかも知れないし、既存施設の更新を計って、客層の範囲を拡大したいと思うかもしれない。このような大きな目標を一方におきつつ、現実的に地域の中に、経営理念を落とし込む作業が必要になってくるわけだ。例えば、高齢者対策、後継者確保、地域の自立化、若い人たちの地域への定住化、Uターンの促進などの課題に、経営理念を具体的に落し込むことが必要になってくるのである。
明確な経営理念を欠いた地域経営は必ず場当り的となり、構想倒れに終わる可能性大であり、反対意見が出たときに耐えられなくなる。その意味では経営コンサルタント、会社経営者による経営実践講座を準備して、周到な「理論武装」をしなくてはならない。第1節でみた先進地の担い手たちは、この面でのすぐれた経営者であるとともに実践者である。とくに自治体でこの任務に当たる行政マンは、するどい経営感覚をみがくことがまず必要である。
2.組織づくりが重要
つぎに必要なのは、地域の組織化である。組織には2つあり、1つは精神的な組織化である。地域が連帯するという面での組織化、要は地域が精神的に一体となって事に当たるという意識の高揚が、まず第1にある。地域住民主導で行く場合にも、当事者だけの構想や計画推進であってはならず、地域社会全体のコンセンサスと援助が得られるような活動が重要である。かつての村落共同体意識は、就業構想の「サラリーマン化」で消失しているから、よほど強力にやらないと地域の賛同は得にくい。第2は、文字どおりの組織化で、構想を動かす基礎になる組織である。地域住民のみでこの組織化が難しい場合には、市役所や公的機関を含めて、1つの大きな組織を作ることが必要である。精神的な組織によって作られる連帯感と実質的な組織の2つがうまく作用して、構想が動いて行くのである。
この組織には当然、役割分担が必要であり、どちらかといえば若手が行動の主体となり、御婦人は、主としていろいろな産物を作製する側に回る。年配の方は、知恵どころとなるような、そういう組織を作り、進んで行くことが必要になってくる。適材適所である。
しかし、現実には補助制度の活用などの面で、行政主導で走らなければならないケースもあろう。地域での気運の醸成や合意形成を待っていては「乗り遅れる」というケースもあるからである。その場合にも、地域に対しては、いつも風通しをよくしておかなくてはならない。
3.公的資金の活用から自立へ
構想を経営として実現するには、資金の問題が出てくる。望ましいのは、地域住民が主体となって投資して、自らの事業としてやって行くことであるが、いざ資金を出すとなると、将来に対するリスクを負うことになるから、どうしても引っ込み思案になってしまう。しかし何か事を起こそうとするとき、カネは必要であり、ここで怯んではならない。
その場合には、各関係省庁の補助金や自治体、公的機関の資金を利用しながら、経営を進めて行くことが必要になってくる。新治村「たくみの里」では、年間1,200万の経費(人件費)に対して、800万程度の回収(売上)、従って残りの400万円は赤字となっている。この場合、立ち上がり後の年数が少ない事もあるが、補助金があるにしても、基本的には、地域の側でそれを返して行くことが必要で、それにはやはり自分たちが自活力をつけ、経営力をつけることが必要になって来る。
補助金に甘えていては、いつになっても自立できない。いつまでも行政に資金的に依存しているようでは、これこそ「親方日の丸」「公費天国」であり、新しい経営の発想がわかなくなり、消費者からあきれられてしまう結果となる。甘えがイノベーションを押さえつけるのだ。民営、第三セクター、自治体直営のいずれが良いかは、地域の実情によって判断されてよいが、いずれにしても、現場でサービスに当たる人たちを中心とした経営力の向上に結びつくような方法を考えるべきである。
4.高付加価値型観光開発
次に必要なのが、経営力の強化であり、商品とサービスの問題である。商品については、旅館やホテルの産物展示コーナーで即売をしたり、加工施設で食べて頂くという形になるが、第1次産品をそこに並べることも確かに必要であるが、これを加工することが必要である。加工とは、ただ手を加えるというだけでなく、例えば、「そばがき」を作る時、美味しい味付けにするなどのアイデアを付加し、付加価値を高めることが必要になる。
群馬県新治村で行われているように、味のコンテストを開いて、その中から優秀な作品を販売して行くことも考えられるし、地域の素材や料理法、味つけにこだわらずに、思い切って都会風にアレンジし、グルメ感覚を出すことも必要である。
商品の流行は一時的であるが、本当の時流に沿った商品は息の長い活動を得ることが出来るのである。その際、「越の寒梅」「ひとめぼれ」のケースのように、限定生産、限定販売を心がけることも、商品戦略としては重要である。最近、米の研ぎ汁が家庭雑排水となって、河川を汚染する原因になっているというので、研がないですむ米の商品化が行われたが、このように環境問題に徹底してこだわった商品化を試み、情報発信源となり、人を呼び寄せることも良い。観光施設によっては、客層のターゲットをしぼり、高級感を出す工夫も必要となる。「薄利多売」がかえって観光地の商品サイクルの短命化につながるケースもある。
5.質の高いサービスが必要
サービス業を企業として考えると、価格よりも受ける満足の方が大きければ、リピーターになる。価格<満足の原則である。
その満足とは、第1に商品そのものの力、第2に価格、第3に人的サービスの総合評価である。 例えば、リゾートホテルでの宿泊を考えてみよう。かりに1泊2万5,000円の対価を支払うとすると、2万5,000円に対して消費者の受ける評価が同等かそれ以下であれば、リピターにはならない。常に2万5,000円を越える評価があってこそリピート客になるのである。
今日でのサービス業にあって、消費者に特に大きな影響を及ぼすものは、むしろハードよりもソフトなサービスである。高品位な人的サービスを含む総合的な評価が、売上の拡大もしくは固定客の増大をもたらす。 上の事例は、サービスに対する代価の事例であったが、お客さんに対する、「ようこそ来て下さいました」という、気持ちを込めた人的なサービスが必要になって来る。従って、施設や商品などの「物」つまり、ハードを活かすためのソフト面では、サービス提供者側の気持ちや、相手に対する思いやりが大切になる。天竜市、くんまの女性たちは、この面で成功した。そういう意味では、ソフトが、サービスの中で一番重要な位置を占めている。経営センスに、ソフトな発想が求められる。
6.生活者としてのニーズに合ったPR
PRの方法については、行政とタイアップした地域おこしのケースでは、基本的に営利を目的とした企業体ではなく、片方の足を農林業に置いているケースが多いので、企業が行っているような販売促進(販促)活動を取る必要はない。消費者は同時に生活者であり、生活に対する思い入れが大きい現代社会では、彼らの持つ嗅覚はますます先鋭化しているので、作意的かつ表層的な宣伝は、返って逆効果となることがあるので注意を要する。
こうした生活者にアピールしていくには、彼らの生きる価値観に合う情報を流し、かつ評判を勝ち得る戦略が重要である。そのアピールの仕方は、あくまで自然な口コミとか、公共的なメディアによる取材広告などが好ましい。「消極的」、つまり自然体でPRすることによる評判が重要なのである。本物志向、本質志向の今の市場ニーズに対して、評判を徐々に勝ち得ていくことが必要である。
鹿児島県知覧町の特攻平和記念館は、非常に強力な情報発信機能、インパクトをもっている。このようなケースでは、とくに意識的なPR作戦を展開しなくても、自然と口こみで伝わっていくものである。語り継がれて行くと一種の神秘性を帯び、これがまたPR効果を呼ぶ。このような情報発信力に、経営資源を重点配分する努力も不可欠である。
7.観光地の更新の必要性
最後に総括を加えると、いままで述べてきた経営活動は絶えず循環させていくことが最も重要である。つまり、計画の「立案」→その「実行」→「評価」→次の計画への「フィードバック」という循環である。施設を充実させ、来訪者が増大し、そこで来訪者へのサービスの必要性が増大していくと、それに対して検討を加え、また新たな施設及び付随するサービスを計画していくという回転である。観光地のリニューアル(更新)の必要性である。
昨今の事例では、ハード面を充実させ、それに対する若干のサービスを付加するだけで、村おこしを終了させてしまうケースが多い。村おこしの究極目的は「地域産業の醸成」なので、産業への不断のメインテナンスが当然必要となってくる。
