第5節 公共事業と建設業の相互依存関係

 1.歪んだ社会構造と公共工事汚職

 日本の政府支出の中で、公共投資の比重が大きい事はよく知られている。公共事業つまり社会資本
整備が、他の先進諸国と比べて立ち遅れている事は、日本の経済と政府の関係の特殊性を理解する上
で極めて重要であるが、この事は一般には余り知られていない。
  年度末の何かと忙しい時期に車で道路を走れば、どこかの街で必ずと言っていいくらい、道路を掘
り返し工事をしているので、立ち往生をしたり、予期しない通行止めにいらいらした経験を持つ読者
は多い事だろう。
  午前中通れたはずの道路が夕方突然工事中となったり、工事をしている様子もないのに工事中の標
識が置いてあり、片側通行になっていたりと、恨みつらみには事欠かない。
  下水道とガス管の担当が違うため、一端埋めたガス管の位置と同じ箇所を、また掘り返して下水管
を埋めているといった、愚にもつかない話もある。
  だが、諸外国と比べて社会資本、特に生活関連社会資本の整備が遅れている日本では、公共工事が
必要不可欠であり、早急な整備促進が必要な事は言うまでもない事である。
  公共事業の入札に関わる一連の贈収賄事件にみられるように、公共事業は、政・官・業を含んだ、
わが国の構造的な政治・経済の腐敗した構造の典型であり、国民の政治離れを引き起こしている元凶
である。それは、人類が長い歴史の中で、血で血を争う闘争を経て築き上げてきた現代民主主義政治
や公正な経済社会構造の、もっともはずべきガンであり、何としても解決しなければならない国民的
な課題である。石田梅岩が現代に生き返ったら、一体何と言うであろうか。

 2.不祥事のバックグラウンド

  ではこうした事件がいっこうに収束へ向かわないのは何故だろうか。筆者はこの現象は、わが国の
近代社会成立以前から連綿と続いている、一種独特の持たれ合い構造であると考えており、この図式
の改革なくしては、事件の再発は不可能であると確信している。
  これは、公共事業を請け負う土木・建設業界のみならず、多かれ少なかれこのような図式の中に組
み込まれているわが国産業界への警鐘と受けとめなければならない。
  もちろんこうした事件が表面化し、大きな社会問題となっているのは、一部の大手建設業、いわゆ
る大手ゼネコンであり、金のかかる選挙制度と悪徳政治家である事も事実だ。
  従って、当面大型公共工事に限定して一般競争入札制度が試験的に導入されたのであった。静岡県
にあってもいくつかの自治体で、同制度が導入され、数億円以上の公共事業の入札に、平成6年度か
らすでに制限付き一般競争入札制度が導入された。
  他の地域では、導入されたとたんに談合情報が寄せられ、本命建設業者が最低価格で入札をものに
し、調査の結果灰色のまま契約へ進んだという信じられない話も伝えられている。実際に、落札予定
価格は漏れているという話を、自治体関係者からも聞く事がある。
  確かに、公共事業は建設業者からみれば、儲けは少ないかも知れないが、一般経済界が不況の折り、
ケインズ流の景気浮揚策が行われるので、多少の赤字は覚悟でも、従業員を食わせるための受注確保
は有り難い。
  また過度の競争によって著しく予定価格を下回る落札をするよりも、一定の高値を維持して利益の
配分をし、政治献金として還元した方が業界全体の維持につながるといった配慮も働くであろう。
  今日ほど経済力が東京など特定の大都市に集中し、これといって牽引車となる産業を持たない地域
にあっては、建設業が地域の雇用を支える重要な産業である事も否めない事実である。

 3.納税者の利益を損ねる入札制度

  こうした事情ないしは構造が、あいも変わらぬ一連の不祥事を引き起こすバックグラウンドにある
のだ。しかし、こうした構造にピリオドを打たなければならない事は、もはや誰の目にも明かである。
  高い入札価格、政治献金、技術革新の停滞など、こうした構造がもたらす社会的なロスは、納税者
の論理と真っ向から対立するからだ。
  先進国並の租税負担率に達し、今後の高齢化社会の中でいやがおうでも消費税を中心とした、税負
担の高原水準を覚悟しなければならない国民にとって、これが悪徳業者と腐敗した政治家の懐の中へ
消えていく事を、もはや我慢できないからである。
 豊かな生活大国を築くためには、あくまでも公共事業は必要な事であり、生活優先の公共投資を進
めて行かなければならない。今一度、この使命をかみしめ、政・官・業とも、自らの衿をただす事が
なければ、今次入札制度の改革も効力を発揮し得ないであろう。
  また国民も、対岸の火事のごとく事態を傍観せずに、公共工事の適正な企画立案と執行に監視の目
を光らせるべきだ。