第3節 内発型テクノポリス−−浜松の実態

1. 問題の限定

 テクノポリス構想とは、「地域の文化・伝統と豊かな自然に先端技術産業の活力を導入し、『産』(先端技術産業群)、『学』(学術研究機関・試験研究機関)、『住』(潤いのある快適な生活環境)が調和した『まちづくり』を実現することにより、産業構造の知識集約化と高付加価値化の目標(創造的技術立国)と、21世紀へ向けての地域開発の目標(定住構想)とを同時に達成しようとする戦略である」とされ、1980年にこの構想が発表されて以来、すでに7年ちかくの歳月が流れた。
 “テクノポリス″といえば、経済に多少とも関心のある人ならば誰でも、「通産省のハイテク産業振興策で、現在地方自治体が地方都市の周辺に建設を進めている工業開発」くらいの定義付ができるほど、国民の間に定着したといっても過言ではあるまい。 筆者の勤務する大学の1986年度前期地域経済論の試験に、テクノポリスを含む現代先端技術開発の問題を出し、「なぜこのテーマについて興味を覚えたか」を問うたところ、ほぼ全員が「日頃新聞、雑誌、テレビなどで接していて興味があった」と答え、「卒業後の就職に関してテクノポリスの発展に大いに期待する」というのがかなりあったほどである。
 そこで、テクノポリス建設途上にある18地域(1)の実態を分析し、学生たちの期待が現実のものとなるよう、そこにさまざまな問題点が潜在していることを指摘し、今後のあり方を浜松地域に即して検討した。
 テクノポリスの原型とされた、アメリカ、カリフォルニア州サンタクララ郡内の シリコン・バレーは今日では有名であるが、そこではハイテク産業の相つぐ立地のために、地価の急騰、住宅難などの都市問題、大気汚染などの公害、地下水汚染、犯罪の増大などが表面化し、最近ではシリコン・バレー以外の地域へ工場が流出しているといわれる。(2)
 テクノポリス構想にあっては、三大都市圏以外の県庁所在地クラスの地方都市を 「母都市」として、その周辺地域に開発区を設定し、そこにエレクトロニクスなど ハイテク産業を誘致し、このいわば「外人部隊」と既存の「地域企業」とを、下請取引などによる技術移転をつうじて、地域技術・地域経済のボトムアップをはかり、21世紀へ向けてのわが国の創造的技術立国の推進に役立てようというものである。
 しかし、ここにおいてもやはり、首都圏など大都市圏に本社を置く先端産業の工場誘致による地元経済への波及効果という謳い文句も、若干の女子労働力雇用以外には、概して弱いものであること、空港、高速道路のインター・チェンジ、新幹線への近接が条件であることから、比較的内陸型の開発となっていて、過疎化の進行に拍車をかけるものであること、ハイテク産業に固有の公害がすでに多発していること、地域企業にたいする技術高度化支援策(異業種交流事業、テクノマート、特別融資制度など)にしても、その恩恵に浴することが可能なのは、一部有力企業に限定されること、テクノポリスの計画作成、事業遂行過程に広範な住民参加、議会の関与が欠落していたために、地方自治の観点から問題があるなどが実態である。
 筆者はすでに、全国の指定地域の半分位の地域を訪れ、いくつかの文章をかいた(3)が、本稿では、工場誘致=「外人部隊」に基本的によらず、(ただし最近の円高不況その他の状況変化から、この点にも変化が起きている)、地域中小企業の技術先端化に力点を置いたテクノポリスという点で特徴のある浜松地域テクノポリス(地元の構想ではこれを「内発型」テクノポリスと呼んでキャッチフレーズにしている)を 分析し、ハイテク企業中心の地域経済開発の中間決算書を作成したい。

2. 「内発型」テクノポリスの根拠

 ともあれ、まず初めに浜松テクノポリスの基本的考え方、あるいはその概要について紹介しておこう。 まず、テクノポリス圏域、これは浜松市を母都市とし、その周辺の浜北市、天竜市、細江町、引佐(いなさ)町の3市2町から成り立っており、この圏域にクラスター(ブドウの房)状に開発区を、住宅用地をバランスよく配置し、工業開発の一体性をはかる(4)とされてい る。
 工業開発の方向については、浜松地域に従来から存在する輸送用機械(自動車、自動二輪車)、楽器、維維の三大産業と、近年進展著しい電子関連企業群の企業集積と技術基盤に注目し、この高度化すなわち「内発型の高度技術産業」の育成を最も重要な課題とし、そのための先導的・補完的役割を果たす企業を地域外から計画的に導入するとしている。
 そして、地域企業の技術高度化の方向としては、光技術産業、高度メカトロニクス産業、ホームサウンド・カルチャー産業、家庭映像情報システム産業を目指すものとし、その支援策として、産・学・官の共同研究、異業種交流、公設試験研究機関の充実強化などを進めるとしている。 また、工業開発の目標水準については、1990年のテクノポリスの概成時までに、工業出荷額、工業付加価値額、工業従業者数の伸びをそれぞれ、年平均6・4パーセント、7・5パーセント、1・6パーセントだけ見込み、2兆8,910億円、1兆300億円、11万9,500人と設定している。
 このように、浜松地域テクノポリスの特色は、三大産業の技術集積を基盤として踏まえつつ、そこから新たに派生しつつある、光産業、メカトロニクス、電子楽器産業などを、基本的には域内から創出し展開をはかろうという、「内発型」テクノポリスである。 「内発型」テクノポリスの課題については後述するが、それではなぜ浜松において、かかる方向性が志向されたのか、それは単に三大産業を基盤にした企業・技術集積が存在するということのほかに、浜松地域という地方工業都市における一定の技術連鎖に基因していると考えられる。
 大塚昌利氏は、浜松地域を浜松市、浜北市、可美村(浜松市に吸収合併された)、舞阪町、雄踏町、磐田市、 天竜市、湖西市から成る広域的地域ととらえ、そこにおける工業地域の特性を「複合工業地域」としている。(5)すなわち、「地方工業都市浜松市を中核として、浜松市の工業が拡大する過程で形成された周辺部を含む浜松地域の工業化について、先発工業が核となって新しい工業を発生させ、先行産業が工業地域の形成とその持続に、大きく貢献した」とされる。(6)
 具体的には第1図にみるように、藩政期にすでにはじまった綿織物工業が染色・整理加工業を分化・独立させ、紡績工業を派生・展開させるなかで、織機をはじめとする繊維機械工業を成立させた。ちなみに現在のスズキ自動車の前身は、織機メーカーである鈴木式織機(1908年創業)である。また、天竜木材の集散地であった浜松市には、製材業が発達したが、ここから木工業、刃物工業が派生し、刃物工業が基礎となって、木工機械工業の発生をみた。
 このように、綿織物業および木材工業という二つの素材加工部門が先行産業となって、機械工業という後発産業を生み出して いった。 1888(明治21)年に設立された山葉風琴(オルガン)製造所(ヤマハ=現在の日本楽器製造株式会社)に代表される楽器工業の発生は、のちに家具をはじめとする木工業と合板工業 を派生させ、合板工業から第二次大戦中の軍需産業としておこなわれた木製プロペラは、戦後、生産設備を利用して二輪車工業を生み出した。
 浜松地域の二輪車工業は、本田宗一郎(現本田技研の創業者)が、同市三方原(みかたばら)台地に、1933(昭和8)年に設置された陸軍航空隊の飛行場に放置されていた、無線機用発動機を改良して、自転車に取り付けたことから起こった(1946年)といわれる。
 鈴木式織機が二輪車工業に参入したのは1952年、ヤマハ発動機が日本楽器製造の全額出資により設立されたのは1955年のことであった。二輪車工業には直接的な先行産業は存在しなかったが、数多くの繊維機械工業が部品メーカーとして転換し、下請取引構造を形成していった。
 鈴木式織機は1954年に鈴木自動車工業と社名を変更し、以後四輪車部門へ進出した。 以上のような経過を経て、繊維・楽器・自動車という浜松の三大産業が成立し、 ここから近年エレクトロニクス、光産業などいわゆる先端産業が芽生えつつあるのが現状である。
 こうした技術的展開を支援していこうというのが「内発型」テクノポリスの実体=史的基盤にほかならない。 ところで、この三大産業を基盤として派生しつつあるとされる先端産業群が、浜松地域経済のなかでどれほどのウエイトをもっているのか、換言すれば、育成するに値する現実的基盤をどれほどもっているかを判断する客観的データーを、われわれはまだ持っていない。
 この点を間接的に推定しうる資料として、以下3つの統計数値を検討してみよう。 まず、静岡県工業の推移を示した第1表にみられるように、1975年以降(昭和50年代)、県全体としては重化学工業化が進展していることがわかる。1980年代には、重化学工業が出荷額で6割にたいして、軽工業が4割という構成になっている。
 重化学工業化率の上昇の理由は、機械工業の出荷額のウエイトの上昇にあることは明らかであり、なかでも電気機械の伸びが著しく、1970年の6.4パーセントから1983年の11.1パーセントへと、4.7パーセント上昇している。先端技術産業については、1983年で8.5パーセントというレベルであるが、1970年から4パーセント上昇しており、構成比を倍増させている。
 そこで、この先端技術産業の内訳を示した第2表によってみると、静岡県の先端産業は、構成比は落ちているものの、医薬品の占めるウエイトが高いことがわかる。1983年で電子工業の46.6パーセントにたいし50.0パーセントを維持している。電子工業のウエイトの上昇に貢献したのは、電子応用装置とウエイトは小さいが電気計測器である。また静岡県にあっては、集積回路(IC)を含む電子・通信機器部品のウエイトが小さいことが特色である。第2表には現われていないが、これら電子工業の先端産業全体に占める事業所数のウエイトは91.4パーセント(1983年)と圧倒的であり、従業員数も72.8パーセント(同年)と高く、このことは静岡県の電子工業が多数の小事業所から成り立っていることを示している。ともあれ、静岡県全体としてみた近年の先端技術化には著しいものがあり、県がテクノポリス計画に寄せる熱意の大きさが知れよう。

第1図 浜松地域における工業発展の連関


(出所) 大塚昌利『地方都市工業の地域構造』古今書院,1986年,178ページ より。




第1表 静岡県先端技術産業の構成展開
(出荷額) (単位 %)

1970

1973

1975

1978

1980

1983

重化学工業
 化 学
   鉄鋼
   非鉄金属
   金属製品
   一般機械
   電気機械
   輸送機械
   精密機械
    小計
うち、自動車など
56.8
10.2
1.6
5.6
4.2
9.0
6.4
18.1
0.9
34.4
15.9

56.8
9.3
1.6
4.5
4.7
8.4
8.7
18.2
0.9
36.2

55.4
9.7
1.3
4.9
4.1
9.2
6.6
17.8
0.9
34.5
15.2

58.0
10.0
1.6
4.9
4.0
6.7
9.5
19.5
0.9
36.6
17.5

59.3
9.6
1.8
5.4
4.0
6.7
9.6
20.0
0.9
37.2
18.5

61.3
11.0
1.7
4.4
4.4
6.9
11.1
20.1
0.8
38.9
18.8

先端技術産業
うち、電子工業
4.5
2.1


5.7
1.8

6.4
2.6

6.3
2.6

8.5
3.9

事務用機器
産業用Robot
(102)
(0)



(261)
(2.4)

(350)
(X)

(713)
(14.5)

軽 工 業
 食料品
 繊維
 製材・木工
 紙・パルプ
 楽器など
43.2
10.5
5.4
5.1
10.7
4.3

43.2
10.3
4.9
5.2
10.4

44.6
12.6
4.0
4.4
10.0
4.2

42.0
12.5
3.3
3.6
8.6
3.9

40.7
11.9
2.8
3.6
8.9
3.2

38.7
12.3
2.5
2.3
8.0
3.5

統   計

100.0

100.0

100.0

100.0

100.0

100.0


(注) 1) 構成比の( )内数字は、出荷額の秘匿欄を除いたもの、実数を示す。 単位は億円。
    2) 各年「工業総計調査報告所−静岡県の工業−」(静岡県統計課・総計 協会)数字により算出。
(出所) この表は上原信博「静岡県の地域産業構想」(同氏編『現代先端技術の展開と地域経済』昭和60年度科研報告書〕1986年所収)の第4表の一部を掲載したものである。

  つぎに、少し統計は古いが、浜松市の工業出荷額の推移をみると、同市の工業構成は、その他に分類されている楽器、輸送用器械、繊維の三大産業に特化しており、繊維のウエイトの低下が著しいことがわかる。最近では、オートバイと楽器の生産にかんしては、市場の成熟化、中進国の追い上げなどの要因で生産は停滞ないし減少の傾向にある。(7) 第2図で注目すべきは、対全国の特化係数は小さいものの、電気機械のウエイトが上昇していることであり、1981年の工業総計では出荷額682億円、4.5パーセントである。 テクノポリス基本計画の作成(1982年)に先だって、浜松市の委託で株式会社野村総合研究所が策定した『浜松市産業構造ビジョン調査−−80年代の産業振興策を探る』(1981年6月)では、こうした現状を「三大産業への依存度が大きいものの、最近10年以上工業構造に大きな変化がみられないでいる市工業構造」と規定し、「三 大産業中心に成熟した段階からの発展」が必要だとしている。
 「音と光と色の未来都市浜松テクノポリス−−国際技術情報都市の形成」というキャッチフレーズをもつ浜松テクノポリスの背景には、以上みたような歴史的展開と、全国的水準からは立ち遅れてはいるが、電子工業を中心とした一定の先端技術産業化とが存在していたのであり、IC産業の集積の低位に現れているように、圏域外からの工場誘致に基本的に依存しない、いわれるところの「内発型」テクノポリスという性格を付与せしめたと考えられるのである。

第2表 静岡県先端技術・同関連産業の業種別構成 (出荷額) (単位 %)

1965

1970

1975

1978

1980

1983*

先端技術産業
100.0

100.0

100.0

100.0

100.0

100.0

医薬品
 通信・同関連機器
 電子応用装置
 電気計測器
 電子・通信機器部品
   電子管
   半導体素子
   集積回路
71.1
16.8
4.4
4.2




51.4
38.6
2.5
3.1
1.6

0.8

62.4
19.0
6.4
2.1
5.0
0.7
0.0

54.3
22.2
11.0
2.6
5.0
1.2
0.2

52.8
19.6
12.9
4.0
5.4
1.4
0.3
0.2

50.0
17.8
19.7
4.5
4.5
0.6
0.7
0.2

小計(電子工業)
25.4

46.1

32.35

40.9

42.0

46.6

医療用機器
光学機械用レンズ
1.8
1.7

2.3
0.3

4.9
0.2

4.5
0.2

5.0
0.2

3.3
0.1


(注) 1983年時の出荷額〔*〕の数字は、秘匿欄[х]を除いたもの。
(出所) この表は、上原信博前掲論文第5表の一部を掲載下ものである。

3. テクノポリスの光と影

 よくテクノポリスにたいして “夢と現実″という表現を用いているのを新聞、雑誌などでみかけるが、この表現は、先端技術産業といわれる産業群が、ここで静岡県についてもみたとおり一定の根拠をもっていること、テクノポリス建設が全国的にバラツキはあるがすでに開始されていることをもって、不適切である。
 それよりも、もっとテクノポリスの “光″の当たる側面と、それによって生じる矛盾つまり “影″の側面に注目し、どのようにすれば地域技術の高度化につなげることが出来るかを考えなければならない。

民主的手続きの弱さ

 第1に指摘しなければならないのは、開発計画の大幅な修正ないし変更であり、その過程で議会の関与や住民参加といった、地方自治の原理の根幹をなす民主的手続きの課題である。
 テクノポリス構想の作成はもともと、通産省→県(商工部・企画調整課など)→地元市町村の行政主導で進められ、「固有事務」の性格をもつといわれるわりには、議会や住民の意志の反映に弱点があったことは否めないところであった。。 浜松テクノポリスの場合、最初から土地騰貴の恐れがあることから、具体的な開発区の位置や財政計画を記した『開発構想第三部』はマル秘扱いにされ、1984年2月 、前年11月に県が通産省などテクノポリス所管四省庁に提出した『開発計画』にたいして、「土地取得の方法を明示せよ」との宿題が出されて、初めて開発区の大雑把な位置を公表した。第3図に示すように、それはI〜Vまでの開発区からなっていて、それぞれの開発区について、『テクノポリス事業実施基本計画概要書』が作成され、各種計画(財政計画を含む)が検討されていたのである。
 ところがこの開発区 のうち、第一開発区の細江町と引佐町の境界部については種々の理由から大幅な位置変更がおこなわれ、結果的に細江町天満平地区が決まった。(8)また第四開発区の 浜北市平口地区についても、同市富岡・内野地区に変更されたほか、同地区北側の 隣接地に、光技術で最近急成長を遂げつつある浜松ホトニクス(1953年設立、資本金 50億100万円、従業員900人)を中心とする浜北リサーチパークの建設が決まった。(8)
 このように、最初の開発区に相当大幅な修正が加えられたにもかかわらず、計画全体との整合性、地域周辺に与える影響などについて十分審議が尽くされないまま行政主導で進められている。財政計画については初めから公表されていないので 議論のされようもないという現状である。(9)

産業構造の再編

 第2に、以上のテクノポリス構想の作成・修正・実施の手続き上の課題のほかに、今後の浜松地域の産業構造の展望=再編成のあり方が検討されなければならない。第3表は、『浜松地域テクノポリス開発構想(第1・2部編)』が掲げた、浜松市を含むテクノポリス圏の生産構造の展望である。 ここで特徴的なのは、自動車・自動二輪車といった浜松三大産業の一角である輸送用機械は今後も工業出荷額を伸ばすであろうが、構成比ではむしろ低下して、西暦2000年には30・9パーセントへ、1980年の32・7パーセントから2パーセントだけ低下するとされている点である。つぎに楽器については17・3パーセントから11・8パーセントへの大幅な低下、この表では繊維がどこに分類されているのかわからないが、おそらくその地位の相対的低下である。

第3表 テクノポリス圏の生産構造の展望 (単位 億円、%)

産 業

工業
出荷額
(1980)

構成比
(1980)
工業
出荷額
(1990)

構成比
(1990)

基礎資材型工業
(金属製品)
加工組立型工業
(一般機械)
(電気機械)
(輸送機械)
生活関連型工業
(楽器その他)

2,282
1,074
6,803
827
740
5,130
6,528
2,706

14.6
6.9
43.4
5.3
4.7
32.7
41.6
17.3

4,450
2,000
15,200
2,150
3,350
9,650
9,250
4,250

15.3
6.8
52.6
7.5
11.7
33.4
32.1
14.6

製造業計

15,613

100.3

28,900

100.0



工業
出荷額
(2000)

機械比
(2000)

付加
価値額
(2000)

1990
1980
年平均伸び率

2000
1990
年平均伸び率

2000
1980
年平均伸び率

8,300
3,950
31,700
4,400
11,000
16,300
12,700
6,200

15.8
7.5
60.1
8.3
20.9
30.9
24.1
11.8

3,137
1,742
12,300
2,121
4,543
5,167
4,763
2,288

6.9
6.3
8.4
10.1
16.4
6.6
3.6
4.6

6.5
7.1
7.6
7.3
12.6
5.4
3.2
3.9

6.7
6.7
8.0
8.7
14.5
6.0
3.4
4.3

52,700

100.0

20,200

6.3

6.2

6.3


(注) 下記『開発構想』の第2部第4章に示す計量経済モデルによって 予測されたものである。
(出所) 『浜松地域テクノポリス開発構想(第1・第2部編)』1983年3月、14ページ より。

 逆に、地位が著しく上昇するのは、電気機械であり、『開発構想』では、「計画的に導入を図る中核的な先端産業等は、その多くが電子技術をベースにした技術集約型の高付加価値産業である。したがって、これらの産業の立地により、生産構造は、 電気機械の割合が高まり、従来の輸送用機械、楽器、繊維の三産業依存から新しい 展開が図られる」としている。
 またテクノポリス圏の就業構造の展望をみると、第一次産業は1980年の2万6631人 (8・1パーセント)から西暦2000年の1万6900人(4・4パーセント)へと減少し、第三次産業化が進展するとされている。
 当然といえば当然であるが、こうした急激な産業構造の転換とそこから生じるさまざまな課題にたいしてどう対処するのか、構想や開発計画には何ら具体的には明示されていない。結局、その場その場の対症療法で糊塗され続けていくとしたら、 既存の企業にとってはいかにも酷であるし、21世紀を展望したとされる計画にしては片手落ちというべきだろう。

先端技術産業群の実態

 第3に、浜松テクノポリス計画で将来展開されるであろうとされる先端産業群の実態についてである。この点は先にも述べたように総計不備のため、実証がむずかしい。浜松テクノポリスの基本的方向は「内発型」であり、「音と光と色」であることはすでに述べた。ところで「音」とは、日本楽器(現在のヤマハ)、河合楽器に代表される楽器産業のことで、先端技術というとき、電子楽器、シンセサイザー等を意味していると考えられる。「光」は当然浜松ホトニクスに代表される光産業ということになろう。「色」というとき、これも判断がむずかしいが、繊維の染色技術をさしていると思われる。
 しかし繊維についての位置づけは先ほどみたとおりであるし、FCC(ファッション・コミュニティ・センター)の誘致を考えたこともあるが、浜松の繊維産業全体にとって概して実態的裏づけに乏しいと思われる。したがって、音と光と色というとき強調されているのは「光」産業だということができる。また『開発構想』で浜松地域テクノポリスの産業コンプレックスの中核となる産業は、つぎの四つだとされていた。

・ 光技術産業(光情報端末、光計測装置)
・ 高度メカトロニクス産業(FMS、医療機器)
・ ホーム・サウンド・カルチャー産業(電子楽器、ホーム・コンピュータ)
・ 家庭映像情報システム産業(ホームエレクトロニクス、教育機器)

 ここに掲げられた産業は、現在までのところ浜松地域では、ごく少数の企業によって担われているにすぎない。たとえば、ホーム・コンピュータは、1981年以来日本楽器が多大の労力と資金をかけて手がけてきたもので、家庭用から産業用への方針転換で、年産1000台の水準である。(10)電子楽器を扱えるのは、日本楽器、河合楽器、ローランドの3社くらいのものであろう。
 浜松テクノポリスの看板に掲げられてある光産業についてはどうか。光産業とは 「光を発生、伝送、さらには電気など他の形態へ変換して光技術の利用を可能とするための光部品、これら光部品を主要構成要素とする光機器ならびに光応用システムの生産及び利用に係る産業である」(11)とされており、具体的には発光素子、光ファイバーなどの光部品、光伝送機器および装置、オーディオディスクなどの光機器、それに光通信システムから成り立っている。
 1984年度生産実績は、光部品が2,787億4,200万円、光機器が2,833億1,400万円でほぼ同額、光通信システムが800億9,500万円となっており、今後の急成長が見込まれている。 問題は静岡県にどれくらいの光産業が集積しているかであるが、第4表にみるように70社が現在何らかの形で光産業にかかわっている。
 なかでも光センサーを中心とする光機器の生産をおこなっている企業が多いことがわかる。ところで浜松テクノポリス圏域には光部品7、光機器13、光通信システム3、光通信システムを導入・利用1、レーザ賃加工5、県外で光産業に関連する大手企業1、合計30、全体の43%が集中している。御殿場を中心とした県東部には、首都圏に本社を置く大企業の進出工場が多い。
 このように、浜松地域の光産業の実態はかなり根拠のあることであり、光電管、 光電子増倍管などの光部品の生産で世界市場に大きなシェアをもつ浜松ホトニクス を中心に、ベンチャー型企業のグループを形成し、成長していると考えられる。これらグループは中小企業が多く、設立時期もごく最近の若い企業が中心である。
 今後の光産業の進展のなかでこれら企業の整理・淘汰がおこなわれつつ、前期産業構造の転換が進むものと思われる。浜松テクノポリスにおいて、光産業の発展にかける期待の大きさを伺わせるものといえよう。それとともに、先端技術産業の産業コンプレックスをどのように整合性をはかり、調整をとっていくのか政策課題がやがて必然化するであろう。 またこの点とも関連して、開発区の開発の成・否も問題となろう。
 現在、浜松市都田町の第二開発区では、開発面積242ヘクタールの地権者の約9割の買収が完了し、1987年初めにも造成工事の着工に入るとされているが、これと合わせて誘致企業のPR を東京、大阪で積極的に展開するという。最近の円高の下で、部品の海外調達に踏み切る企業や外資との合弁会社を設立する動きが、浜松のみならず全国的にも顕著になってきている。このような状況のなかで、浜松テクノポリスが望む企業を誘致できるのか、その前に果して浜松に企業が来るのかどうか。テクノポリスの基本目標を達成する努力が必要である。

第 4 表 県内の光産業関 関連企業
区  分

企業数

光部品
 光電管等
 レンズ等
 光ファイバ等
 その他光部品等
   小   計





16

光機器
 光センサ等
 レーザ加工機等
 光ディスク等
 試験装置等
 布設機器
 光ファイバ製造装置等
   小   計

20





37

光通信システム
(システムハウスを含)
光通信システムを導入・利用
レーザ賃加工



11

合     計

76
(うち重複企業7社)


(出所) 静岡県中小企業振興公社『光産業実態 調査報告書』1986年、39ページより。

4. 農業との関係

 最後に、テクノポリス建設と農業との関係についてみよう。これは、「高度技術に立脚した工業開発に関する指針を定めた件」(1983・10・15、国・農水・通・建告 一)、いわゆる「テクノポリス開発指針」では、「農林水産業の健全な発展との調和が図られるよう十分配慮する」とされており、「浜松地域テクノポリス計画」においても、一応具体的に述べられているところである。
 しかし、今までのところ、農林業の先行きに明るい材料となる施策が、テクノポリス建設に関連して講ぜられて きたとは思えない。むしろ、地域農林業に否定的影響の生じることが懸念されるのである。
 「浜松地域テクノポリス構想」では、1980年から1985年までに第一次産業の就業人口が2.4パーセント、1985年から2000年までに2.1パーセント減少するとしている。この推計方法は必ずしも明確ではないが、「開発計画」で、テクノポリス建設にともなう「農林漁業者の離職者に対しては、安定した就業機会の確保に務める」とあることから、開発にともなう離農を含んだ将来予測だと思われる。
 だとすれば、「農林業との調和」という場合、営農継続希望者にとってどれだけ満足のいく補償がおこなわれるか、開発後も農業を継続していくうえで、十分な保障がなされているか、またこれらを担保するために、農業側と行政側とのキメ細かい話し合いや詰めがどこまでおこなわれるか、学識経験者など第三者の意見がどう反映されるかにかかってくる。
 浜松テクノポリスでは、一部の既存の工場団地計画を除けば、用地の手当てはまったくなされておらず、これからつくるという段階である。浜松市都田(みやこだ)町の242ヘクタールの土地について、現在までのところ地権者の約9割と売買契約が完了し、組合施行方式で1987年初めにも造成工事が始まるといわれているが、誘致する企業については、まったく目途が立っていない。
 この第二開発区の地権者総数は340人であり、都田町をはじめ、浜松市、浜北市などにちらばっている(1984年2月現在)。このうち交渉がもっとも難航しているのが、 開発区のなかの沢上地区に土地を持つ41人の地権者についてである。
 この沢上地区の買収対象面積は3万8,552平方メートルで、開発区内の他の地区と比較して、比較的大口農家が多い。筆者は、1986年9月、この沢上地権者30人にたいして、戸別訪問の聞き取り調査方式でアンケート調査をおこなった。調査結果の全容にかんする分析は別稿を用意することとして、ここでもまた、兼業化の進行を中心とした日本農業の現状の一端を 垣間見ることができる。
 調査地権者30人のうち農家は21人であり、うち専業農家は 6、兼業農家は15であった。この21の農家のうち後継者のいるのは8であり、他は、 「なし」、「未定」などとなっている。都田は三方原台地の北端に位置しており、この地は もともと第二次大戦後「満州」からの引き上げ者を中心に開拓されたところで、静岡県においても富士の開拓農業とならぶ拠点となっている。その間の営々として積み上げられてきた開拓の歴史は、『三方原開拓農協30年史』に収められており、この風雪苦節31ねんの歴史は、涙せずに読むことはできない。
 みかん、お茶を中心とした、この地の農業の現状の厳しさが、土地の買収を容易にしている一方で、他方では営農継続希望農家を中心に交渉をむずかしくしている結果が明瞭に読み取られた。土地(農地)を譲渡することで、個別農家にとってはむしろよかったとする事実のあることは否定できない。
 しかし、この地の農業は一部優良農家を除いて、全体として「現状維持」から「縮小」の方向へ向かうことは明らかであり、農業振興の有効かつ具体的な手だてが施されないならば、テクノポリス が、その謳い文句とは逆に、農業縮小をともなう農業再編成の役割を客観的に担うことにならざるをえないであろう。

お わ り に

 すでに紙幅も尽きたので、簡単なまとめをして結論にかえたい。
 浜松テクノポリスは、いまだその建設の緒についたばかりであり、その決算書を書く段階ではないが、開発構想、開発計画の内容、それに本稿では触れることができなかったが、 産・学・官共同研究、地方財政への影響などを総合的に判断すると、実に今後の課題の多いものであった。一部 ″光 ″のあたる者にたいして、″影 ″の部分について、ほとんどその恩恵に浴することなく、むしろ整理・淘汰される可能性のある者のことを、 いわば、「中間決算書」のかたちで問うたつもりである。
 それにたいして、地域農業の均衡のとれた発展、地域経済の圧倒的部分をなし、それを支える中小零細企業・事業所にたいするキメ細かい施策が望まれるところである。また三代産業の現状を考えるとき、今後の展開と次代の中核産業の育成に具体的な対策が展開されることが望まれる。



(1) 現時点でのテクノポリス指定地域を示せば以下の通りである。
 新潟県長岡地域、富山、静岡県浜松、広島中央、山口県宇部、熊本、大分県 県北国東、宮崎、鹿児島県国分隼人(以上1984年3月24日第一次指定)、秋田、 栃木県宇都宮、(同年5月21日追加指定)、北海道函館(同年7月14日)、岡山県吉備高原(同年8月3日)、福岡・佐賀県久留米・鳥栖(同年9月17日)、長崎県 環大村湾(1985年3月12日)、青森(同年8月14日)、兵庫県西播磨(同年9月18日 )、香川県西部(12月6日)。和歌山県御坊地域は地域指定に至っていない。

(2) E.M.ロジャース、J.K.ラーセン著、安田寿明、アキコ・S・ドッカー共訳『シリコン・バレー・フィーバー』講談社、1984年参照。

(3) 拙稿「浜松地域テクノポリス構想−−その光と影」『日本の科学者』1984 年10月、「テクノポリスと大学」『しずおか科学評論』1985年5月、「テクノポリスと地域経済・地方自治体」上原信博編『現代先端技術の展開と地域経済−浜松テクノポリス構想と地域経済への影響−』(昭和60年度科学研究費補助金〔一般研究A〕研究成果報告書)1986年3月、「テクノポリス構想−その 原型と経緯」宮本憲一監修『国際化時代の都市と農村』自治体研究社、1986 年10月(本書はハイテク型地域開発の中間決算書というべき、自治体問題研究所地域開発研究会による地域実態調査にもとづく相互討論の成果である。一読をすすめたい)。

(4) 『浜松地域高度技術に立脚した工業開発に関する計画』1983年11月による。

(5) 大塚昌利『地方都市工業の地域構造』古今書院、1986年参照。

(6) 前掲書、177ページ。以下本書による。

(7) 浜松市商工部商工課『浜松の商工業』4〜5ページ。

(8) 『静岡新聞』1986年1月28日。浜北リサーチパークは、21世紀の世界の光技術の基地をめざすもので、県企業局が実施主体となり、地権者との売買契約も完了、すでに工事に入っている。

(9) 第二開発区である浜松市都田については現在地主から買収交渉中であるが、「都田地区事業概要(1985年3月)」によれば、総事業費460億8900万円とされており、これを坪12万円で分譲して回収するとしている。これは企業が進出 するにはかなり高い分譲価格である。また買収価格にたいして農家の不満が 強いことから価格の上乗せがおこなわれたところであり、計画の遅延は利子負担を増大させ分譲価格の上昇にハネ返ってこざるをえまい。

(10) 中川靖造『日本楽器のLSI開発戦略』ダイヤモンド社、1984年、 139ページ。

(11) 静岡県中小企業振興公社『光産業実態調査報告書』1986年3月、18ページ、 以下本報告書による。

〔追記〕 テクノポリスにかんする行財政論的な検討課題としては、@テクノポリス建設地域で公共投資がどのように変化しているか(道路などハードなものを維持しながらも、情報ネットワークなどソフトなものの比重増大)、A研究開発体制がどう再編されているか(既存部門の見直し、エレクトロニクスなどハイテク部門の新設、拡充)、B地域における民主主義との関連(地方自治の空洞化)がある。熊本テクノポリスに即した分析として、鈴木茂氏の 「テクノポリスの行財政問題」(日本財政学会第43回大会報告要旨)および 日本科学者会議編『テクノポリスと地域開発』(大月書店、1985年)所収の 同タイトルの論文がある。(せがわ ひさし・静岡大学助教授)
 
本稿は『経済』(1 大特集 87年世界経済の行方)、1987年、新日本出版社に投稿したものに多少の加筆修正を加えて収録した。

<研究開発型企業の組織条件>
1.高収益企業への脱皮
  華麗なる撤退(不採算部門のリストラ)=自己変身の美学
2.次世代技術への飽くなき挑戦
  @ハイリスク・ハイリターン(勇気を持って赤字を作れ)
  A大学・研究機関との連携強化
  B補助金の有効活用
  C想像型研修の拡大
3.ニーズの的確な把握と製品化
  @フレックスタイム・休暇制度の拡充
  Aサテライトオフィス
  B地域との交流
4.創造型(問題解決型)人材の育成
  @自由で個性ある人材の採用
  Aプロジェクト方式
  Bビジネスリゾートの提供